覚者慈音608  急がばまわれ






               三世と四世論
           未知日記第八巻
           第四の巻
           来世の巻                                   其の158
    第五     来世の希望は如何
     三     急がばまわれ                                                             其2                 リョウジャ.セイキョウ貴尊講述


 されど一般の大衆にはかかる自由の眼耳そなはりあらざるが故に見聞すること難しと思いて修養修行をせんとする人はたえてあらざるが故に観ることを得ざるなり。然らばある一定の人にのみその素質はそなはりありて他のものにはあらじとならば真心は得られざるかとの疑問を生ずるならん。
 大凡人類にそなはりたる魂魄霊はすべて全宇宙に同化したるものとならばすべては一体なるが故に万人悉く此そなへなかるべからず。さりながら望遠鏡と云う機械に於ても百倍千倍万倍と拡大せられたる相違あるによって見るものの距離に依っては映り来る程度も従って相違ある如く人間にも同化作用は同一なれど分度によって相違あることはまぬがれざるなり。是を拡大することによって次第に遠きを見ることを得るなり。拡大強化することを即ち修養修行と云うなり。如何なる人雖も修養修行せざればゆるされたる否そなはりたる程度の極致までは到達することを得るなり。然るに人は其を知らずして実行に移さんとはなさざるによって得られざることも推して知ることを得るならん。故に人は日々の行を己が修養の資料ともなし又その行とは即ち肉体を整うるにあらずして真心を求めんと計るにあらざれば目的はかなはざるなり。汝等のつとめは何処迄行かば其にてよしと云うことはあらじ。肉体をすてて其にて終れりと考うることなく、未来は否来世は如何あらんとの掛念の必要はなし。唯分秒も無益にせず努力して歩みを進めよ。急ぐは終点なりと考うること勿れ。急がずとも行くべき処には必ず運ばるる道はそなはりあるなり。さりながら我等しばしば急ぎて道につくべしと教へ居るは汝等の修行が否修養の方法をあやまてるによってそのあやまちを急ぎてもとに返へすべき事を急げよと説き居るなり。正しき道を急ぎて歩めよと云うにあらず。正しき道は急がずとも可なり。故に急がばまわれよとの諺に従いてたえず歩みを運ぶを急げとすすむるなり。汝等これを諒とせよ。


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