覚者慈音603

               三世と四世論
           未知日記第八巻
           第四の巻
           来世の巻                                                      其の153
    第五     来世の希望は如何
     一     自由と不自由                                                    其2                 
             リョウジャ.セイキョウ貴尊講述


 汝の自由を束縛するものは汝の肉体なるべし。此理は自在論にて説明なしたれば汝等既に承知なし居るならん。とかく肉体ほど汝等を苦しむるものはあらざるなり。是天理に反するが故にかかる不自由を感ずれども肉体に束縛さるるそのなわめをときはなさばここに自然の法則より真の自由は得らるるは当然なり。されば来世は心の自由を得て肉体と共に安らかなる生活をなさば如何に心安らかにして、はじめて肉体も安らかとなるは是天の自然に順じたる故にこそ得らるるなれど、是に反すれば如何に苦しむとも詮なきことなり。心安ければ衣食住も亦安し。天に順ぜよと聞かば汝等は天より縛られて真の自由は得られじと考うる人又少なからず。宗教者が称うる五戒十戒或は百戒などの戒律は天理なるが故に、是に縛らるれば真の自由は得られじと思うが故にその戒律を厳守するは苦しと思いて厭うならん。汝等戒律と云へばいましめなるが故に、即ちなわめに縛られたると誤解なし居るが故に自然を不自然と考へて行ずるなり。いましめとは縛るにあらず、心を広く高く増大するをいましめと云うにて縛ると解釈するが故に不自由を感ずるなり。
 たとへば酒を好む人に飲酒する勿れと教へ、又女色を好む人に姦淫する勿れと教ゆれば其は自由を束縛すとの意味より是に同意せざるならん。此理は何故かを深く考へて明らむる必要はあらざるか。明らむるとは思い切るの意味にあらず。汝等の信仰はすべて是等に匹敵する信仰なるが故に遅々として進まざるなり。教へに従いて放棄するを明らむると考うる信仰は先にも語りし時計の振子がゼンマイによって動かされ居ると同様にしてゼンマイが切るれば忽ち静止する如く、汝の心も亦然り。法則と云うゼンマイによって止むなく諦め順じあれど教へと云うゼンマイが切りはなたるれば忽ちもとに復す。斯る信仰にては正しきさとり正しき自然正しき自由は望まれざるなり。すべての信仰は自らの本心より現出したるにあらざれば真の自由は得られざるなり。酒を好み女色を好むは肉体的活動が時間的習慣性より生ずるものにてその習慣に執着して事の善悪如何に不拘悪と知りて其を行い果ては肉体の傷くに及びてここに初めて悔いを残す。

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