覚者慈音604

               三世と四世論
           未知日記第八巻
           第四の巻
           来世の巻                                                      其の154
    第五     来世の希望は如何
     一     自由と不自由                        其3                 
             リョウジャ.セイキョウ貴尊講述


 大凡習慣程恐ろしきものはなく又習慣程尊きものもあらざるなり。身体を傷くに至りてはじめて悔い改むる人は多し。傷かざる間に悔い改むる人は稀なり。もとより真心を見出したる人ならでは習慣を打破し得ることは容易の業にあらず。されば真心に立ちかへりてはじめて自由は得らるるなり。戒律とは真心より出でたる方法にて決して苦しきものにあらず。戒律は即ち自然の道理に合うによってなり。
 とかく人間は肉体の欲するがままに勝手気儘の行為をなし、其が時間の進むに従いて習慣性となるによって真心より遠ざかり、はては戒律の自然を憂目のなわと曲解するに至るため、ここに不自由を感ずるなり。所謂不自由とは悪習慣のなわに縛ばられて時間の進むにつれその縛りめがかたくかたくしめられて、はては身動きならぬに至り居るため真の自由を得るあたはず、却って自然の法を不自由のなわとして厭う。
 大凡肉体信仰にはかくの如くの道理ありて真心を求むることをなさず。故に世の中は混乱して名伏すべからざる醜行はたえやらずして世は穏かならざるなり。余事にわたって申訳なけれど言葉の序なればいささか語らんとなすことあり。そは他ならず、汝等が世界の政治は肉体本位の政治にしてすべての事柄はみな唯物主義となり居る為、如何に法律を工夫すとも百年の平和すら得ることは難し。何となれば真心より出でて真心にかへる政治にあらざれば世の中は正しき平和は望まれざるなり。唯物主義の行政は世の中の状態変化するに従いて彼是論議を醸し確定なしたる政治とはならざるは唯物主義の欠点なり。真心より真心に交はる政治ならば物質は二段に置かれあるが故に、如何に時世が変化すとも何等の痛痒も感ぜざるが故に世は全きを得るなり。されば心と心の結合を計らんとはかるには互いに有する真心に立ちかへりてはじめて人の和が得らるるは当然なるべし。此理をよく認識して世を導く資料となさんことを序でなれば語りおくなり。

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