覚者慈音600

               三世と四世論
           未知日記第八巻
           第四の巻
           来世の巻                                  其の151
    第四     無言詞界の広さと深さについて
     五     退く来世と進む来世                             其1                 
            リョウジャ.セイキョウ貴尊講述


 汝等は口にこそ不去不来と称し居れど不去不来とは如何なることを思い居るやを我等はいぶかるなり。来らずば去るの要なく去らざれば来る要も亦あらじとの考へなりとせばその不去不来の考へはあやまちなり。全宇宙の大自然は終始なきが故にその中に諸々の限度あるものを造り出したりと知るならば、汝等の考うる不去不来は那辺にありやを疑はざるべからず。始めなく終りなきが故にこそ始めあり、終りあるものを造り出したりとせば不去不来と云う言葉は成立せざるべし。終始なき世界に立ちかへりて始めて不去不来の道理が成立すると仮定して考へ見よ。終始なき処にて終始なく止ることを不去不来と考うるならば其は唯遊ぶの他なかるべし。終始なくして動じ居るならば進退は必ずやあるならん。
 動ぜざる処は全宇宙にはあらざるなり。限度なく動ずるによって不滅は成立す。もし動ぜざる処あらば其は限度ある結果とならん。動ずればこそ静もあるなり。動静これ即ち動なり。動静これ又静なり。汝等進むと思いて却って退き退くと思いて却って進み居ることをも認識せざるなり。動中に静あり、静中に動あることは汝等も種々の書物を読みて認識する処ならん。されど汝等が読みし書物より把握せし静動は相対自然の動静にして絶対自然の動静より見る時は其趣大いに異るなり。
 先にも説きたりし汝等が思う神と我等が奉仕へ居る神との相違の如し。今我等が語る動静とか或は進退とかは凡て無言詞自然存在の法則に合いたる言葉にて汝等が思う絶対自然の法則とは相似て等しからざる底の説明なれば曲解して早合点すること勿れ。汝等は進まんとして却って退き、退かんとして却って進み居ることを我等は知る。所謂動中に静あり、静中に動ありと説きたるも汝等が考うる如き動静とは或場合或は反対となり居るやも計られざるなり。時計の振子が右左なし居るを汝等は動の連続と見るならん。是を我等に云はしむれば左右するは動静こもごも至るなりと云うなり。決して動の連続にあらじ。汝等此理をさとり得ば絶対自然の法則はほぼ察するを得べし。されど今一歩是を深く追究して考察せざれば無言詞界の動静の理を明らむること難し。汝等が見る動とは動に似たる静にして動にはあらざるなり。動と見るも迷いにて静と見るも亦迷いなり。無言詞自然の法則より推理すれば振子の左右するは動にもあらず、又静にもあらざるなり。振子の動きあるは眼に見る実在にして誰もが疑はざるところ、されど是を仔細に奥深く源をさがし求むれば振子は動くにあらずして動かされ居るなり。源停止すれば振子も静止す。故に動くと思うは迷いにて事実は動かされ居るなり。 

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