覚者慈音48   未知日記講義第一二巻  大霊界  巻の壱   浮住界について   教主寛大講義



未知日記講義第一二巻  大霊界  巻の壱                                 NO 8
                              浮住界について                                           教主寛大 講述


 汝等衆人の考へにては、人死すればすべて天界に移さるると思はば、其は大なる錯誤なり。是等に関しては今迄くはしく語りし如く、その大半は浮住界にてさ迷ひ居るなり。
浮住界は範囲広くしてその悉くが一様ならず。死したる抜け殻が点々として右往左往し、ところ定めず迷ひ居る様は、恰も浮べる雲の如く上昇するものもあれば下降するものもあり。魂を有するもののすべてが混合して迷ひ居る様、もし汝等衆人にして是を見ることを得るならば、唯々戦慄するの他なかるべし。魂は人間のみに限らず、他の動物にも具はりあるものの種類きはめて広し。故にその魂が人間の魂か、或は他の動物の魂かにすら、見わけする事すら困難なる有様なり。然してその魂が互にもつれあひて相争ひ間断無く悲鳴をあげて、弱きものは逃げ惑ひ、強きものは是を追ひて虐ぐる等、実に眼もあてられぬ悲惨事を醸し居るなり。其等のすべては魂の稔らざる謂はば魂屑に等しきもの多きが故に、恰も地上の塵埃にも等しく、汝等衆人かかるものとなりてくちはてんとせば、如何なる結果をもたらすやを想像し見よ。実に怖しき事ならずや。斯かる境涯にて永久さまよひ居りては、何時かは安住すること思ひもよらず、早くめざめては如何 !
浮住界の事は今日迄屡々語り起きたれば是以上は語るの要もなからん。兎に角人と生れて人を知らずして終はらば、かかる姿となる事のみ伝へおくべし。人間に生れて人間を知らず、動物性にて終はりなば、かくも怖ろしき結果を見るなり。たとえ如何なる苦みありとも肉体を有する間に、早くめざめて動物性よりぬけ出でて真の人間性に生れかはるにあらざれば、真の稔りは得られざる事の理は、汝等衆人と雖も聊か理解することを得るならん。ものには順序あるによって、その順序の方法に従ひて歩みを進め、次より次ぎへと正しく順序を追ふて進むにあらざれば、目的を達することの難き理も推して知ることを得たらん。兎に角我等はその順序を知らしめ居るにすぎざるなり。
 先にも語りし如く人類には動物性、人間性の二つの具備があるに不拘、衆人は人間性を育てず、動物性にのみ囚はれ居るによって、折角授けられし人間性を稔らせず、動物性のみ育つるよって、その魂が動物性を稔らせて、人間性を枯らしむる結果、動物魂に化せらるるによって進歩することを得ざるなり。是を反対に動物性を肥料として、人間性を育つれば、その魂が人間魂となりて上昇し、ここに始めて天界の方向に引き上げらるる結果となると考へて行ぜば可なり。
仏教者は是を往生と云ひ居れり。されど仏教者の語る意味と、我等の教ゆる意味とには、相似て等しからざることきはめて多し。何となれば仏教者の語る意味は、肉体を捨てての後を語り居れど我等は然らず。故に我等は往生と云ふ言葉を用いざるなり。唯順序として歩みを人間性に向けよと教へ居るは、即ち道を示し居るにすぎざるなり。是等の道理は順序として歩み追ふて説明せん。よってその心して聞くべし。誤解する時は、仏教者の語る往生と同一の如く考へて、誤まてる方向に歩みを進むること多きを知るによってなり。

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