覚者慈音568

               三世と四世論
           未知日記第八巻
           第四の巻
           来世の巻                                                               其の119
     四     然らば何が天界に行くか                                 
             リョウジャ.セイキョウ貴尊講述


 かく考へ来る時肉体滅後に於て何が天界に行くかを静かに考へ見ば自づと道は明らかとならん。行くものは罪にもあらず又行にもあらざるなり。即ち無形のものなりとは汝等も察する事を得るならん。その無形のものとは何かを深く考へざるべからず。是をたしかむる事を得ざるが故に人は迷うならん。ここに至って人智は全くつきて如何ともなすことを得ざるなり。是を知るものは誰ぞと静かに工夫分別なさざるべからず。人類が肉体を有する間にこれを明らめおかざれば肉体をすてての後は如何にともなす事を得ずして宙に迷うは当然なるべし。されば肉体を有する間に是を悟ることを得ばここに始めて来世を明らむる力そなわりて来世の恐怖はぬぐい去るるは云う迄もなからん。現在に執着せば念は残りて現在に止まり、来世を明らむれば念は現在にのこらず霊と共に従い行くは是又察するを得るならん。魂魄合して一つの念を作りその念がはたらきて此世を去らば念は魂魄の化合によって生じたるによって魂魄のはたらきは完全となりて霊に従う。故に迷はざるは魂魄をつなぐ念の力なり。是霊より伝りたるはたらきが魂魄一体化するによって念をつくりその念が更に一種のはたらきをなすによって迷はざる結果となる。即ち念とは魂魄和合によって生ずる稔りなれば魂魄結合せざれば念と云う稔りは得られず。魂魄の一体化によってはじめて完全なる稔りとなり、その稔りの力こそ所謂先にも述べたる如く米を喰へばその後米のはたらきは何に相当するかと語りし如く魂魄は喰はれし米の如く念は後のはたらきに相当すると考うるも差支なからん。さりながら念とは唯魂魄和合したる現はれにして此和合があやまるか或はあやまらざるかによってここに相違ありて、或は天界に或は下界に或は地獄にと位置をかへる結果となる。故に此念のおきかたこそ人間にとりて最も大切なるが故に修養もなし修行もなして魂魄一体化を完全ならしめざれば完全なる念力は得られざるなりとの結論に達するなり。もし魂魄と念とが現在に於て分離するならば是は心意にのみ走りて唯念のみ残りて空しく空間にて消滅するは先にも語りたる如き道理なれば今迄語り来りし教へをよくよく熟読玩味せば此理は察することを得ん。

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