覚者慈音569

 


               三世と四世論
           未知日記第八巻
           第四の巻
           来世の巻                                                               其の120
    五      魄の稔り魂の稔り                                 
             リョウジャ.セイキョウ貴尊講述


 魂魄の関係については従来より詳細陳述したればすでに汝等も認知なし居る処ならん。今より語るところは従来よりはその趣きも従って変化を生じたる事柄を述べんとするなり。
 普通一般には唯脳のはたらきに重点を置きあるが故に他の事柄については無関心なる事多し。医学上より見る時は脳に重点を置くは当然なれど人の組織は脳にのみ囚はれ居ては他に欠くるところ多きを知らざるべからず。脳のはたらきはすべて魂の陽力と化し、陰力のはたらきはうすし。故に考案工夫の力は脳一方に囚はれては減退し疲労して分別に欠くるところ多し。故に脳は混乱して果は狂人となる如き例は少なからず。汝等の中には過度の修養勉強によりて遂に狂人となる如き例は少なからずあることを見聞するならん。是等はすべて脳にのみ囚はれて他を省みざる原因より生ずる結果ならん。来世の巻にはかかる事の説明の必要はあらざるが故に詳細は省略す。
 兎に角魂の稔りとは陽力を指し、魄の稔りとは陰力を云うなり。大凡魂一方の念を結ばせて魄に重点をおかざればこの魂(たましい)は来世に於て宙に迷う。魄の稔りに於ても亦同様の関係となる。されば魂魄一体の稔りならでは完全なる結実は得られざるなり。魂に実を結ばせるに当っても魄の力は相当加はり又魄に実を結ばするにも魂の力が聊か加はらずば稔りは得られざるなり。魂魄等分にはたらきて得たる稔りは完全なりと云いしもここにその意味は存す。
 脳は即ち魂魄の智慧によってはたらく機械にすぎずとは前にも語りたる如くなり。肉体滅して脳の機械静止するも魂魄のはたらきは永遠に静止せざることに汝等認識なし居るや。然らざるべし。肉体滅して脳のはたらき静止すれば即ち魂魄は共に消滅すと考うれば祖は大なる誤認にてここに汝等の考へと我等の考へとには大なる相違を生じ、ために汝等には会得理解することを得ざるなり。
 即ち光源体は光源にかへり、気源対は気源にかへらば其々に同化して光気一体ならず、此処に分離せらるる事は汝等も察するところならん。光源体のみ実を結び或は気源体のみ実を結ばば其は一方にのみ傾きて完全なる稔りとは云い難し。例へば汝等が手に持てる一個金塊が手より離れて他に転々し再び汝等が手に返へりたる時或は金貨となり或はたの器具に組織せられてかへり来るとも其は最初汝の手より離れし金塊なりしかば汝等が考へにて推測する事難からん。よし金塊にかへりたりとも汝等には始め己が有したる金塊なりしか、又他のものなりしかの区別すら察することを得ざるならん。一つの有形物に於てすら斯くの如し。まして空なる無形物に於ておや。判明し難きは当然なるべし。かくの如き道理より推知する時解し難き魂魄の行衛は何処と判断する事の至難なるは云う迄もなし。魂魄肉体に在りと思うは是誤解にて肉体を有するが故に魂魄のはたらきを知る事を得れば肉体滅して魂魄のはたらきを感知する事は至難なり。故に肉体の機械を有する間に魂魄の稔りを完全ならしめずば来世は如何になり行くかを知る事は難し。魂のみの稔りにては光源体を知るに止まり、魄の稔りにては気源体の稔りを知るに止まる。故に其は一方的にして完全の位置に到達することは得ずとの理も従って認識するならん。所謂稔りとは即ち念の力なり。汝等是を聞きて然あるかと思うのみにて如何にすれば其は完全に得らるるかを知り度しと思うならん。其には別段方法はあらず。唯知りて己が心に深く止めてその方面に進む事を静止せざれば軈ては実を結ぶ時節到来するは火をみるよりも明らかなる事なれば迷うことなく稔りを完全ならしめて一方に囚はるる事なく浮世に執着を残さず、天界に執着せず、修養修行せざるべからず。浮世に執着すれば魂は浮世にのこり天界に執着すれば魄は天界に至り魂は消滅する他なかるべし。されば魂魄一体の法則に従はざるべからず。光源と気源とを一体化せしめずば気光素は完全に発達せざる事は従来の書物によって学はば道は明らかに知る事を得ん。

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