覚者慈音557 三世と四世論 神の力ならば信ずることを得ん   セイキョウ貴尊講義

               三世と四世論
           未知日記第八巻
           第三の巻
           未来の巻        其の109
  第十三      神の力ならば信ずることを得ん                                      其の2                               リョウジャ.セイキョウ貴尊講述


 此事柄に対しては後に円海が、否ミキョウが説く因果論に於て詳細の説明ありと思うが故にここにはその大要を語るに止めてさて本論にかへすべし。汝等も知る如く鳥のたまごは孵卵器に依って雛をつくる事を得れど人類は胤子を機械薬品に依って人間になすことを得ざるべし。人工に依って人間の繁殖を計らんとなすとも神の作りたる否神の力に於て作られたる人の如きものを繁殖せしむる事は難かるべし。今後科学の力優秀となり行くとも是は決して成功するものにあらず。然るに人間を亡ぼす事は機械によりて無造作に行はれあるにてはあらざるか。作ることは難く亡ぼすことは易し。神の力は地球の面積を計りて人類を適宜に按排して生存せしめんとならば是を随時なすことを得るなり。ここに神の力と人智の力との相違を発見することも得らるるならん。自然の力は斯くも強くして例へば百人を住はせるには其に対して生存なし得るすべてのものを完備して是を作りあるなり。然るに人間同士が是を悟らずして唯己の領土を広くせんと他を亡ぼして私欲を恣にせんと計る結果、弱きものは苦しみ強き者はおごる。これ自然の力を蹂躙なしたるなれば所謂自然を無視したる結果に他ならざるなり。是即ち天理に逆う誡しむるべき事ならずや。慎しむべき事ならずや。
 自然に従いてこれに順じ居らば自然の力は決して造りたるものを滅すことをなさず。実を結ぶまで育てて去る者は去らしめ、引き上ぐるものは引き上ぐるは即ち自然の力なりと考うれば自然に対して順応すれば必ずや安全なる生活は得らるる理も明らかににさとる事を得ん。不自然なるが故に不自然なる生活をなし却って身心を亡ぼすは即ち神の力を信ぜざる故なり。神の力とは即ち自然の力を指すと考うれば神を知らずとも自然を知らばそは即ち神を知り得たりと思うもさし支ななからん。
 汝等が住居る世界について先づ考へ見よ。地球の表面には空気あり。その空気が上昇する毎に次第々々に稀薄となり空気なき処に至って地球との関係は断ると雖も地球は尚その空の中に包含せられて活動をなし居るにてはあらざるか。是自然の法則否自然の力なるべし。是を汝等が肉体に於ても同様の関係あらん。肉体を地球と仮定して心意を空気、魂魄を稀薄となりたる空気、然して霊を大空として考へ見ば心意魂魄霊の区別は明らかに知る事を得ん。空気の中には様々の多くのものを含有し有機物あり、無機物あり。心意にも亦有機物無機物等々あまた含まれあるが故に常に混濁してこれを浄化する必要を要す。魂魄は即ち心意の如くならず。心意よりはやや浄化せられて魂魄としての任務を果すことを得る力あるなり。霊に至っては斯る有機物無機物を作りだす原動力なるが故にすべてに通じ凡てをはたらかす力あるは云う迄もなく又語るにも及ばざるなり。汝等が心意のみはたらかせ居るはあまりに地球に相当する肉体に囚はれ居りて霊に通ぜざるが故に混濁を重ねて迷いは断えざるなり。空気に相当する心意を浄化せんがために日々修行修養して霊魂魄心意一体化をなさんとて座禅し或は修養修行して其一体化を計り居るならん。

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