覚者慈音558

               三世と四世論
           未知日記第八巻
           第三の巻
           未来の巻        其の110
  第十三      神の力ならば信ずることを得ん                                      其の3                               リョウジャ.セイキョウ貴尊講述


 例へば濁りたる水を浄化せんには有機物を沈殿せずば清水とはならざるべし。所謂静座座禅等は清水を得んが為汚物を沈殿せしむる方法に合うと知らば可なり。我等が心意魂魄霊と説きたれば汝等は是を数種のものと考へ心意が何れにあたるか魂魄は何れか霊は何れかと其々区分せられたる如く思いて迷い居れど、決して数種に区分せられたるものにあらず。心も意も魂魄霊も個々別々ならずして一つのものなる事を此理によりて察する事を得たるならん。清ければ心も霊なり。意も亦然り。魂魄又然り。即ちすべては霊に帰すると考へて修養修行せば霊は神の世界に通ずる事も推して頷く事を得ん。現在の学者に於て神と仏を区分してこれを別個のものとして世に発表なし居るを我等は聞きて不審なし居るなり。かかる教養をなさば人は修養の道をあやまちて神の存在を認識することあたはざる結果とならんことを歎息す。汝等決して斯る事を信ずる勿れ。彼等の説を聞くに宇宙は広大無辺にして此広大無辺なるものを造り出したる全知全能の神を人智にて計る事を得ざるは当然なり。仏教者が人間は神より作られたる組織にあればその身そのまま仏なりと。仏になるとも神を知る事を得じと彼等は説き居るなり。もとより人智にて神を知らんとするは難し。仏は仏、神は神と個々別々に区分して考うれば人間は人間、神は神となりて是を信仰によりて神に帰らんなど思いもよらずとの結論に達せん。我等が語る処はかかるあやまちたる教へを汝等に聞かさんとするものにあらず。人間に与へられたる心意魂魄霊神の造られたるものなれば即ち神に通ずる順路なるによって心意魂魄霊と云う人間に架せられたる極致迄到達し霊を神に帰せしむれば即ち神霊一体となりて神に帰するは当然にして敢て疑うところにあらず。否疑いを差しはさむ要なかるべし。故に仏とならざれば神を知る事難しと我等は教ゆるものなり。仏教者は仏教を神道者は神教と対立するが故に斯る誤信を抱かしむる結果となり居れど我等に云はしむれば神仏是一体なり。敢て神道と仏教との区分する必要なからんと考うるものなりと確言して憚らず。汝等然とは考へざるか。すべて一党一派に偏る事勿れ。我等先にも述べたる如く何れの宗派を択ぶともそはその人々の心まかせになして決して其人の信仰を妨ぐる勿れと教へしもみなここに其理あるによっての故なり。汝等深く是に対して考究せば可ならん。 

×

非ログインユーザーとして返信する

あと 2000文字

※は必須項目です。