覚者慈音545

                三世と四世論
           未知日記第八巻
           第三の巻
           未来の巻        其の97
  第九    心の信仰と魂の信仰について  其の2                         NO1                                           リョウジャ.セイキョウ貴尊講述


 大凡肉体信仰と霊的信仰には前述の如き相違あることを認識したるならん。されば肉体信仰より霊的信仰に入るは順序なりと考うるも当然の事なり。人は生れしより霊智をはたらかす力なければ、肉体と共に発育して霊的に入るは一般のならわしなれば肉体信仰より霊的信仰に入るは順序なることは異論の余地なけれど、肉体信仰をすてて直ちに霊的信仰に入るは至難中の至難なりと考うるも無理ならぬことなり。我等先に直ちに霊的信仰に入れよと云いしについて汝等は不審なしたることも亦当然なり。されど我等は従来より説き来りたる論説を把握したる人の為にこの言葉を用いたれど、決して初心より霊的信仰に入れよと教へたるにあらず。
 そもそも神の宇宙を造り給いしにも順序ありて直ちに大なる宇宙を構成なしたるにはあらじと我等は信ずるなり。ものに順序なくして必ずや成功完成するものにあらず。汝等が住める地球の表面が悉く海にして陸と云うものなかりせば何処より何処に赴く目的をなすや。又何処がはじまりにて何処が終りなるやも知ることを得ざるべし。かかる場合目的を何処にをくや。即ち迷いより他すべはなかるべし。信仰とは恰もかくの如き道理にして汝等の心の智慧は所謂これに類す。故に迷いのみ多くして真の信仰は得られざるなり。
 一個の目標に対して進むが故に如何なる難儀も克服して其に到達することを得るならん。故に神と云う一つの目標を心に描きて其神に迄到らんと計ればこそ神を知ることを得るなり。地球には陸と海との区別あるに依て目標は定まりその地に到達することを得れど、宇宙全土には定まりたる目標は汝等の心に如何に想像し如何に考うるとも定むることあたはずば唯迷いのみにて空しく時間を空費するなり。目標を定め時間を空費せず然して己が心に描きたる地点に到達せんと計るも是又迷いなるべし。肉体信仰は相対なるが故に迷いと信ずるの対照あり。又位置を想像するが故に時間空間の区別を有するは是又絶対にあらざる信仰に依てなり。
 肉体信仰には絶対は伴わず、所謂霊的信仰にあらざれば絶対にはなり難し。従来汝等は相対信仰にのみ心をおきて霊的信仰を認識することを得ざりしため我等が語るところの説を認識することを至難と考へ居るなり。然して一方には肉体一方に霊的と両道にまたがりて修養修業なすによって進行は遅々としてふるはざるなり。故に我等は一方を歩めと説き居るにてここに絶対と相対との両道を一方にして霊的ならば霊道を歩み、肉体ならば肉体的に何れか一方を択びて進まば道は早しと教へたるなり。霊的を想像しながら肉体を歩まば却って迷いを多くす。又肉体のみ考へて霊的をおろそかにせば恰も地球の表面を西より東に或は東より西に一周なし居るにすぎずして其点にかへるにすぎず。故に同じ場所を幾回となくくりかへすのみにして真の目的地到達することを得ざるなり。



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