覚者慈音521

               三世と四世論
           未知日記第八巻
           第三の巻
           未来の巻        其の74
  第一       天理を知りて大智にかへれ
                       NO1                          
             リョウジャ.セイキョウ貴尊講述


 肉眼肉耳は如何にすぐれたりとも天の広大なるを見聞はなし難し。是をきわめんとならば神眼神耳ならざるべからず。神眼神耳を開らかんとするは零体本旨の智慧を求めざるべからず。是を求むるには動物性より人間性へと進みてのちならでは得難し。汝等今日迄学び来りたる事柄は漸く動物根摩擦根を清除したるにすぎず。要は今後に課せられたるなり。即ち魂魄なる夫婦は心意と云う子を儲けて是を完全に養育して恥づかしからぬものに育てあぐる責任を有するなり。此重大なる任務を有する魂魄なれば日々をなおざりにすごすことを得んや。今や汝等は摩擦根を手なづけて漸く人間の花を咲かすに至りたり。されば今後は完全なる稔りを待つのみなり。
 初日を拝してより既に今日迄冬眠より醒めたる摩擦根を手なづくる労苦は炎天下の夏、農夫が田に働くに等し。その夏もことなく過ぎて稔りの秋をむかへたるなり。此初秋の季節こそ農夫の最も悩みなるべく人生も亦同様の関係あるなり。即ち農夫には風水害の天災あれば人生にも病死の憂いあるならん。農夫の天災に対する対策は心がけ次第にて免がるる方法ありとするならば人生に於てもその対策なしと云う道理あらんや。天の自然に順ずるか、或は自然のはたらきを活用なすかの方法を以てせば或程度の妨害は免かるることを得ん。もとより自然は克服なし難し。故に自然に順応してそのはたらきを活用することによりて目的ははたさるるなり。兎に角病死の悩みは容易に脱するあたはず。さればこそ生活の苦は免かれ難きなり。これ生きる悩みならずや。日本の諺に「生命は明日をも知れぬと思い、世は千年の貯蓄をせよ」とさとし居るにてはあらざるか。然るにこの教訓をはき違へて金品を蓄へんともがき苦しむは愚なる事なり。貯へとは物質もさることなれど要は精神修養の貯へを教へたるなり。無情を感じて坊主になる。其が何になる事ぞ。死ぬ者は死すべし。坊主にならずとも悟れば可ならん。又一家得道すれば九族天に生ずとあり。此言葉も間違えていやがる息子を坊主になす親もあるは不心得なるべし。世上の人は何か一つ珍らしく変りたる事あらば一種の流行となり、女子(めこ)も若子(わくこ)も是に眩惑せらるるは宜しからず。所謂一家得道すれば九族天に生ずるは一人にても確かなる道案内者があれば、大衆は迷うことなく目的地に到達するを得との教へなるべし。もし厭う者を出家せしめたりとて彼、道をきはむるあたはずば九族は迷うならん。今慈音は此話を欣情に語りて共に々々研究せんと計りしに欣情はあまりにこれを軽く受け流して理解し居る如く回答なしたれば、是には非常に感銘したる慈音は深く己の無智を恥て我に告げて曰く、我、遠く欣情に及ばず、願はくば欣情をして指導者たらしめよと云い居れり。我、欣情に問うべし。汝、キリストの御名に依って救はるることを明らめ居るならば何故魂魄霊のすべての理を明らめ居らざるや。今にして汝は動物根すら清除なし居らざるにてはあらざるか。汝は余りに早合点する摩擦根を早く取りさるべし。些細の智慧は修行の妨げなり。汝の早合点は僅かの智慧は主魂を煽動する摩擦根の悪戯なればなり。慎むべきにこそ。

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