覚者慈音522  三世と四世論  天理を知りて大智にかへれ  セイキョウ貴尊講義

              三世と四世論
           未知日記第八巻
           第三の巻
           未来の巻        其の75
  第一       天理を知りて大智にかへれ
                       NO2                          
             リョウジャ.セイキョウ貴尊講述


 慈音よ、はづること勿れ。欣情の知れる範囲は表面的にて大抵の信者ならば皆理解し居る程度なり。一人のくはしき道案内者あらば多くの人は迷はぬと云うことにて尽き居るなり。斯る事なれば至極簡単なり。然るに此案内者あるに不拘迷へる人の多きは何故ぞと詰問に対して明答する力ある得道者ならでは九族は奈落に堕るならん。得道なしたる人はありや。即ち一家得道とは汝等が考うる如き浅薄なる意味にあらず。一家とは家系のことなれば人生を指したるにて九族とは即ちすべての事柄を意味す。故にこれを結合すれば人生の境涯を明らむる事を得ば、一切は皆救るべしとの教へにて一家即ち人間一代の道を明らめ得たる人は幾何ありや。
 慈音は欣情に対して指導者たらしめよとて己を卑下したるはここにあることなり。慈音曰く、我七〇歳の年齢なれば年齢に不足なし。されど智慧に不足ありて人を導かんこと思いもよらず。我貴尊の教へをうけて是を欣情に伝うる役目をなし。欣情をして指導者たらしめよと心の底より我に願いたり。欣情よ。是を聞きなば汝は深く反省するところはあらざるか。
 其は兎に角一代の法を学したりとて其は得道なしたるにあらずと云うことも汝等は理解し居るならん。されば得道とは如何なる道を修得するや。言はずもがな天に通ずる道を指すならん。即ち人界より天界に通ずる道なるべし。かかる深淵にして常識より又学理よりもきはめ難き事柄を何によって確実に認識し、其に依って大衆を導き安らかならしむるを得るや。かかる大問題を汝等は簡単に一家得道すればと一言に軽く受け流し聞き流す法やあるべき。汝等是によって見るも言葉の不完全なるに気附くならん。汝等よく口にし居る言葉に、衣は寒暑をしのぐに足り、食は飢餓を充たすに足り、住も亦雨露をしのぐにて足らんと。如何にも悟りたる如き言葉を称へ居れど其は言葉にすぎず、行為には表はれざるなり。総じて人はものを知るに汲々として悟ることを得ざるは何故ぞ。即ち摩擦根の障碍によって肝に銘ずる力とはならざる故なり。故に如何に苦しくとも摩擦根は手なづけざるべからず。我等一般人の学問をなし居る様を見るに大抵の人は表面を記憶するに骨折りてその真髄を学せざるは多し。故に書物を心に謄写したるにすぎず。かかる学問は写本学問にて何等の効果もあらざるなり。記憶学は辞書にすぎず。学とは悟りの道なり。悟らずば学したるにあらず。又学者にはあらざるなり。汝等書籍は己のための手本と思いて学すべし。たとえば釈迦孔子キリストの伝記とか或は彼等の経歴とかを知りたりとて無益の時間を空費したるのみ、何等益するところなし。即ち彼等の真に意のあるところを深く認識把握して彼等を手本として道を修めなば彼等も満足ならん。彼等を尊敬して拝すとも救はるべきにあらず。

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