覚者慈音506

               三世と四世論
           未知日記第八巻
           第二の巻
           現在の巻        其の58
  第四十四     霊に背をむくる理由について                                               
             インショウ、ミキョウ貴尊講述


 世人は妻をめとる迄、或は夫に嫁する迄はすべては親まかせ或は親に従いて、親に背をむけ居らざりしならん。夫婦となるに及んで次第に遠ざかり行くは一般世相の風習なり。魂魄に於ても同様の関係あるなり。是は何時も語り居る如く肉体に囚はれ居る故なり。さればその肉体とは何か。即ち摩擦根を指したるなり。人教養高くして修養つみたるならば夫婦となるとも親を離るるものにあらず。其と同様に魂魄修養によって一体とならば霊を離るるものにあらざるなり。然るに一般世人は修養をなさざるため魂魄と摩擦根とをその姿のまま育て何等の手入れもなさざるにより、半動物半人間にて世を送り居るなり。故に魂魄は霊に背をむけて忘れ居るなり。世人は座禅とか静座とかによって一時は魂魄を一体化なし居るもあれど、其に依って後の修行をなさざるため摩擦根に妨げられてその魂魄は正しく一体化せずして再びもとにかへるなり。斯く語ると雖も世人は未だ合点するを得ざるならん。是は我等従来魂魄は肉体欲求に囚はれて霊に背をむけ居ると云いたる言葉を信じ居たる故なるべし。然らば我等は世人を欺きたるかと云うに決して然にはあらざるなり。是等は修行について最も大切なる事なればおちつきて聞くべし。然して是等は秘伝書の範囲に属するにより全般の説明は禁ぜられたれど許されたる範囲に於て語るべければ諒とせよ。
 先にも語りし如く人は半動物半人間と説きたり。半動物とは魂を現はし半人間とは魄を指したるなり。然して肉体欲求に囚はれてと云いたるは即ち摩擦根を指したるなり。ここに注意を要する事は肉体欲求と摩擦根の相違あることなれど、教主の許しなかりしため、是を一括して肉体欲求と称へ居たるなり。されど今や許されたれば語るなり。
 此肉体欲求と摩擦根とには大差あり。即ち人間の魂に匹敵する力を動物に与へたるは摩擦根なればなり。その有害無益の摩擦根がなかりせば人間は幸福なれど神は如何なる思し召ありてかは知らず、摩擦根をも魄に添えてか、或は魂に添えてかは知らず授け給いしなり。故に此点は実に人間にとりては厄介物なり。この摩擦根は恰もかげの如きものにて肉体欲求を増大せしむるなり。酒煙草を好む人或は情欲などを扇動して容易に思い切らしめざるも是みな摩擦根の悪戯にして是を煩悩と云う。又執着心を起すも是なり。故に日本人は古来より神に立願してものだちをなすも、摩擦根を消滅して魂魄一体化を計る方便の方法なりしならん。かかる邪根の存在しありては魂魄そなはると雖も霊なる親に背を向くるは不思議にもあらざるべし。


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