覚者慈音505

               三世と四世論
           未知日記第八巻
           第二の巻
           現在の巻        其の57
  第四十四     霊に背をむくる理由について                                               
             インショウ、ミキョウ貴尊講述


 この説明をなすに先だち今少し語りをく事あり。世人は他人より道を聞かれし時一里の里程ありとせば是を正確に教へやるが正しきに相違なきは云う迄もなからん。さりながら其人の足取りを見て又時間の関係等より考へ合はせて或は遠く或は近く教へやるも情心の方便にして是は嘘偽はりにして真なる関係あるなり。又近道を教へて却って迷はしむる事もあるべし。他人に道を教へるにすら斯くの如くの手加減あるなり。まして神の道を教へるに於てをや。種々様々の手をつくして導くは方便にして要は導くにあるなり。されば今世人を正しき道につかしめんためには種々なる方面より教へをなさざれば我等の目的は使命をはたすことは難し。世人の中には宗教より受けたる信者あり。或は無宗教者あり。学者あり。常識そなはれるあり。又そなはらざるもありて千差万別なり。今是を一斉に導かんこと容易の業にあらず。此事より教主は自在論を講ずるにあたってミキョウに対し注意ありたり。依ってミキョウは来るものは導き去るものは追うべからずと、慈音に誡しめをきたるなり。是には深き理由ありてなり。その理は世人も軈ては然ありしかと悟る日も近きにあらん。
 余事は兎に角あやまれる信仰をなす人は此程度深くなるに従って必ずや疑いの心を生じ来るものなり。何となれば迷道には暗黒を伴うに依ってなり。光明なければ明らかならず。道暗ければ迷うは当然にして進むあたはず。進あたはずば疑いの心は生ぜん。是無理にはあらざるなり。故に迷道にふみ迷いたる人は再びもとの地点に立ちかへりて更に正しき道につかざるべからず。斯る事を幾度となく、くり返へし居りては遂には疲労困憊してそのままにくちはつるに至らんこと実に不憫なり。故に我等は世人を迷はしめざらんがために人道地図を作りてその地図の説明をなし居るにすぎず。その地図とは何ぞ。又誰に依って描かれしか。言はずもがな教主に依って作られし光明論なり。此書わづかに十巻なれど凡ては論じつくされたれば聊か智識ある人ならば一見にして一切は瞭然たるべし。されど智識乏しき人のために我等は此書の説明をなし居るにすぎず。殊に五大鏡にてすべての成立人類動物の魂などを論じつくされ、八大門にて過去現在未来は説きつくされたるなり。依って此書は誰に見するも差支なけれど正しく理解するにあらざれば見るも甲斐なし。故に読むものをして読ましめよと仰せられたるなり。
 されば自在論は小学校にして感応論を中学とみなすならば、光明論は大学の如しと見るもよし。その後の講演は其等の要所々々の説明にすぎざるなり。されば今後その理の思いを脳中入れて聞くべし。魂魄と云うことに対しては先にも語りし如く便宜上使用なし居るなれば文字の意味に囚はるるなかれと断りをきたるを世人は記憶なし居るならん。是何故なりしかは世人も既に知ることを得るならん。即ち教主が人間にも摩擦根にて世を終るこのあるをしばし語ること勿れと制し給いし故単に魂魄とのみに帰せしめて文字の上に拘泥せざるようと注意しおきたるもこの故なりき。さればこそ下等動物には魄なしと語りをきて人間の身上にはふれざりしなり。
 斯く語り来れば世人も魄と霊との関係についてはうすうす察するを得たるならん。何故魂魄一体となさざるべからざるかと云うこと、又魂魄一体となりても霊に背をむくるかと云う是等のうち最も解しかぬるは魂魄は霊に背をむくると云う事なり。今より此問題ついて回答せんとす。

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