覚者慈音501

               三世と四世論
           未知日記第八巻
           第二の巻
           現在の巻        其の53
  第四十一     魄の性質について                                その弐               

             インショウ、ミキョウ貴尊講述


 先に貴尊が小悪たらんよりは寧ろ大悪たれとさとされしは決して悪をなせよと申されたるにあらず。大悪の改心は大善となる素質を有するに依ってなり。小悪の人は魄を見つくる力に欠くるを教へられたり。世人は誤解する勿れ。小悪の人はかばかりの事ならば余り罪とはならざるべしとの思いが積り積りて大罪となるによってなり。摩擦より生ずる行為にも斯くの如くの相違ありて或は悪となり、或は善となる。即ち善悪は摩擦より生ずる現われにして魄と魂との摩擦の場合、魂が勝てば悪となること多く、又魄の力まさりたる時は善となること多し。何となれば魄は霊光によって導かれあるによってなり。是に反し魂は動物性摩擦根にひき入れられて魄に従うを好まぬ場合多き故ややもすれば肉体欲を満足せしめんとなすによって行いは従って悪となるなり。
 魄は霊に従う性質なれば行いも精神に組する故に常識判断力に富みたれば魂の如く粗暴の振舞をなすことなければあやまちはすくなし。故に罪を犯すを厭ぅなり。さればこの相違より魂魄は常に意見の対立によって摩擦を生じ居るなり。この摩擦の程度の強弱によって大善ともなり又大悪ともなる。然るに小悪小善の人は摩擦の程度にぶき故に魂魄一体化する事の遅々としてふるはざるによって修行の力もにぶくして一生を終ること多ければ、貴尊は斯く仰せられて修行の奮起を促がされたるなり。されば世人はこの事柄を充分に理解して魄と魂との摩擦を計り、その摩擦力によって動物性摩擦根を追い出して魄とむつむことを計るべし。即ち種々様々の事を見聞して是々非々の区を明らむるも摩擦なるべし。拝みも亦然り。自問自答その他すべての行法を悉く摩擦に合うなり。語るまでもなく動物根の摩擦は自己本位となりて範囲もせまく魂魄の摩擦は自他一体なるが故に及ぼす範囲は無限なり。故に魂魄ならざるべからず。世人は既に魄の存在を認めたる以上此魄の光明の輝きによって今後己の進べき道を明らかに照すことを得たるなれば動物根にて迷道に迷へる人に己の光明を送りて迷道を照して、速かに救い出して自他共に明るき道に導かれんことに、共に共に手を携へて正しき道を歩ましめよと勧むなり。

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