覚者慈音495

               三世と四世論
           未知日記第八巻
           第二の巻
           現在の巻        其の48
  第三十八     人魂と獣類魂について                                       その三              
              インショウ、ミキョウ貴尊講述


 余事は別として動物は自己特有の魅力魂とも称すべきはたらきによって行動するなれば是は人間の有する魄の代用なるべし。既に語りしが所謂その魅力魂は執着を起す原動力にして是あるによって彼等は苦痛苦悶は断えざるなり。よって泰岳は赤き火を燃しつつありと云い居るなり。世人もその意味は諒解し居るならん。肉食動物は赤き火、草を喰うは青き火と云いたり。即ち赤きは猛烈を意味し、青き火は柔らかきを意味す。猛獣は肉食をなすもの多し。肉食するには戦はざるべからず。戦うには勇気と力は必要なれど其だけに又悩みも多かるべし。故に彼等の苦痛は大なりと云うならん。是に反し植物を喰うものは争闘の必要もなければ、従って勇気を奮うの用もなし。故に燃える火も柔らかなり。されど温和なる彼等には猛獣の襲来は何時如何なる時起るやも計られず、故に彼等は恐怖心強くして不安の苦しみは免かれかたからん。即ち彼等は何れも火を燃やして苦しむと泰岳は云いたるなり。火を燃やす原因は己の固定魂とは常に融和なし居らば生ぜざる道理なれど動物には融和せずして相克するによって摩擦より生ずる苦悶の炎なるべし。
 世人の中にもし魂魄整はざる人ありて、我等は火を燃し居るならば如何なる色なるかと泰岳にきかば、彼は我知らずと答うるならんも聞く人の眼に青赤中和したる火を見するならんと我等は信ずるなり。世人の中にかかるいまわしき人のあらざるよぅ我等は念ずるなり。兎に角世人の口にする胸に炎の断間なしと云う言葉を放たぬようしたきものなり。其には如何に苦しくとも修養修行して魄の力を増大せざれば目的は達し難し。世人は折角蒔かれたる魄の種子を枯死せしめず完全に発芽せしめて見事なる結実を得せしめんことを我等は切に切に願いするものなり。
 世人の中には家畜は報恩の心を有すと云うからは人も同様なり。然れば魄を有し居るにてはあらざるやと思う人もあるならん。其は未だ魄の如何なるかを認識なし居らざる故なり。家畜は報恩の心を有するにあらず。彼等は己を愛し呉るるものに対して安心なし又親しめは他より受くる害なしと思い居るにて感謝の心を有することとは格段の相違なり。恰も嬰児が愛し呉るる人に抱かれとなすに等しくして報恩感謝の心にあらず。我、斯く語らば世人は云うならん。古来より家畜の報恩に関する伝説は数限りなく又近代日支事変に於ても軍馬は己のいたでに屈せず戦死せる主人の身体を陣中に運び帰り、己も共に死したりと云う事実談もあり。是報恩にあらずして何ぞやと云う疑問もあるならん。是等の答へは次の項目を読まば明らかに知る事を得るならん。


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