覚者慈音491

           三世と四世論
           未知日記第八巻
           第二の巻
           現在の巻        其の45
  第三十六     重魂について   その三              
              インショウ、ミキョウ貴尊講述


 世人は五大鏡、八大門、講録を学びたるにより魄なきは動物なりと聞きて驚かず、却って人間の何なるかを知りて人に生れし喜悦を感謝することを得るならん。此理を知らざるものが是を聞かば反射作用を起して却って此説に敵意を持つに至るべし。故に全書を読まざる人にかかる事を語るは有害無益となる。教主は人心に傷くるを好まざれば今日迄さし止め給いしなり。世人は深く感謝すべし。
 さて動物魂とは即ち魄を有せざるが故に進むを知りて退くを知らざる一方的のはたらきをなすものなり。その性質は世人も察するを得るならん。理由は魂心なるにより陽にはたらけど、魄意の陰性に欠くるによってなり。故にはたらく力は陽一方にして恰も放たれたる矢弾丸の如く止る処を知らず欠け居るなり。魂が命中したるものに送入して牛となり馬となり或は虎獅子狼とも生るるなり。されど魄を有する人間とはならざるなり。是等は皆地上をさ迷う動物魂なり。即ち畜生魂は地を離るるあたはずとは是等を云うならん。鳥虫魚なども同様なれど詳細は略す。然るに人間魂は空間を浮遊して魄の力に応じて侵入し来るにて動物魂は魄を求むるとも和する力なく人間は魄と和する力を有す。是動物魂と人魂の相違なり。動物魂の中には幾回となく生れかわりて通力を得たる魂となり、其が人間の魄を求めて侵入し来るもあるなり。是等は神より許されたるにあらず。一時人間となりたるにすぎず。故にこの通力を応用して神の如く敬はるれば喜ぶ。是を魔神と称するならん。かかるものを信仰して何の利益あらんや。又長く畜生界の苦患を舐め許されて人間界に侵入し来るもあり。是等は決して悪事をなすものにあらず。是等に関しては後に因果論にて語るべし。此処に最もいまわしく且つ憎むべきは修行魂の仕業なり。この修行魂にも正邪魂の二種ありて正魂は悪事を企つることをなさざれど邪魂は然らず。即ち修行魂とは我等の如く行じたるものが、己僅少の力を得たるに慢じて天界を犯さんと昇天なし来り、遂に追はれて下界におとされたる魂なり。是が下界に於て人間に重魂し己わづかばかり天界の様を知り得たるに加へて修行によって得たる通力を種子に邪教を紘めて衆人を天界に至らしめざるよう悪教をなすなり。かかる魂は己天界を許されざる腹いせに悪魔に化して神に反抗をなす悪鬼なり。此魔手になやまさるる大衆こそは不憫なり。然して修行魂の正に属するものは修行のあやまれる結果天界を追われたるを知り、再び人界に重魂なして後更に修行を改めその宿りたる固定魂をも育成して共に天界に帰るなり。慈音の場合なども聊か意味を異にすれど是に類すると知りて可ならん。此他述ぶれば限りなし。他は省略す。
 

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