覚者慈音490

           三世と四世論
           未知日記第八巻
           第二の巻
           現在の巻        其の44
  第三十六     重魂について   その三              
              インショウ、ミキョウ貴尊講述


 重魂と念力とは相似て異なるなり。世人は念と魂とを同一の如く考うるならん。所謂魂を空気のかたまりと見なすならば念は風の如きものと考へて然るべし。念は空吹く風の如く消えては来り、来りては去るものなれど魂は然らず。主魂と居を同うなし居るなり。此事柄を先づ知りをきて重魂の説明を聴くべし。混同して聞かば尚更解し難かるべし。同類魂のうち援助魂の中には主魂より客魂の劣れるもありて主魂より育てられて後他に転ずるもあるなり。又異類魂の中には最も広く知られ且つ、其が世人を迷わし居る重要なものについて語るべし。異類魂の種類は数多ければ全部を説きつくすあたはざればなり。
 さて仏教に於て説き居る「山神鬼神或は外道のせいたに帰依する勿れ。彼はその帰依によって諸苦を解脱することを得じ」と云へる言葉も世人は既に知るところならん。然るに終戦後の日本の宗教の自由を許されしを好機として幾多如何わしき外道を神と祀りて愚昧の大衆を引き入れて迷道に陥れつつあるに徴しても精神科学の如何に拙劣なるかは推して知ることを得ん。かかる事にては文化を誇る価値あらんや。余事兎に角山神鬼神又は外道とは何を指すかと云うに、是等の多くは修行魂に属するなり。中にも同類魂もありて一様ならねど大抵は異類魂の部類に属するなり。然して是等は或は天界に昇る足がかりとして入魂し来るもあり。或は天界より追いおとされて入り来るもあり、又は通力を誇りて世を攪乱せんとなす悪戯魂もありて一口には説き難し。今はそのうちの一二をあげて参考となすべし。他のものは推して考うればすべては判明するならん。先づ異類魂のうち動物魂より語る事とせん。
 動物と人間との区別に関して今日迄明らかに語ることをなさざりしは教主の許しなかりし故なり。今漸く許されたれば語るべし。語らば訳もなき事なりと世人は思うならんも是には深き教主の思いやりありてなり。世人は後に至って教主の慈悲に感謝するなるべし。即ち動物には魂のみありて魄のそなはらざるなり。先に語りし九流界のクゥワオには一分の魄を与へられしにすぎず。されど彼は動物にして人間にはあらざるなり。人間の中にも魄一分或は二分の人もあり。故にかかる人は人間にあらずしてクゥワオと同様動物なり。教主が今日迄是を許さざりしは世人の中に是を聞きて嘆くものもあらんとの御心より許し給はざりしなり。されど自在論より此講義を学びたる人ならば一分の魄も拡大強化して真の人間となる力を有するにより教主は許したるなり。此事あるを予期してテッシン貴尊は講録に於て魂何分魄何分と説かれたるを見のがすこと勿れ。



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