覚者慈音489

           三世と四世論
           未知日記第八巻
           第二の巻
           現在の巻        其の43
  第三十五     重魂について   その弐              
              インショウ、ミキョウ貴尊講述


 然らば有縁魂とは如何と云うにその範囲はきはめて複雑多端なり。有縁と云へば唯文字の如く考へて浅く評価すれど然にはあらず。無縁と云うも帰するところは有縁に属する関係あるなり。真の無縁魂は気まぐれに入魂して魄に追はれて逃げ出づるは多し。魄にはかかる力を有するにより、みだりに入魂を許さざるなり。されば魂魄整いたる人には決して他の入魂し来る恐れなし。入魂の多くは未だ魂魄整はざる間に来るものにて、わけても異性魂或は異類魂の中にて動物魂などは青年男子に客魂となり居りて、其が女子と交わる時を待ちて脱魂受胎するなり。然して彼の魂は動物界をはなれて人間界に生るるなり。故に女子は男子に比して魄の力弱はきにより重魂者多きも此理によるなりと知りて可ならん。されば世の中に神童ともてはやさるる者の多くは魄の整はざるに乗じて重魂となりたるもののはたらき居るもの多し。故に魄の力増大して客魂と和すれば長く同居すれど然らざる時は何日かは退去するなり。魄と客魂と同化し主魂と和せざる場合は如何にと云うにかかる場合は不動魂は軟弱となるに依って身体の活気乏しく、客魂の活躍の場合にのみ見かはしたるはたらきをなすに引きかえ主魂のはたらきは弱くして優柔不断となるなり。故に主客の魂は日々争闘を交へて止むことなし。是等の魂を障碍魂加害魂と称するなり。但し障碍魂と加害魂とは相似て異なるところあり。例へば主魂は物事を計画して着手したるに対して、客魂は是に妨害をなして目的をはたさしめざる如きは障碍魂にして加害魂は最初より其計画の裏をかきて遂には身をあやまたしむる如きを加害魂と云うなり。故に障碍魂よりも加害魂は深刻なり。此加害魂に対して聊か疑問となるは怨魂なり。是に関しては追々語るべし。されど此講には割愛す。
 兎に角障碍魂或は加害魂は人を苦しむるものなり。是に反し援助魂は主客共に和して行動を同じくするにより一人にて二人分或は三人分のはたらきをなす力あるなり。此援助魂には種々のものありて一様ならず。従って援助の方法にも相違あるは云う迄もなし。中にも霊より招魂したる援助魂には特殊のはたらきを有す。例へば慈音の如きはその一例なり。彼は半盲なりし故命数をのばさしむるに全盲を以てして肉眼を秘せしめ、是に代うるに特殊の援助魂を送りて寿命を長くしたるなり。故に失明後の彼は全く人格一変したる如きことを彼を知る者のよく口にするところなり。 故に彼は余りに修行をなさずして遊魂して霊的の意味を有するに至りたるなり。彼の主魂は援助魂の感化を受けて育成せられ霊界の寵愛を受くる喜悦を味はうに至りたり。霊より受くる援助魂にはかくの如き不可思議なるはたらきあることを知るべし。故にすぐれたる援助魂には主魂を育成なす力ありと知るならば、世人は其処に何等かのものを発見せんとの観念は生ぜざるか。援助魂を招かれたる霊の力は何によって生じたるか。即ち信仰なるべし。もし慈音にして信仰心なかりせば彼は医師の言葉の如く三〇歳を一期として此世を去りたるならん。然して彼の魂は宙に迷い居たるならん。斯く考うれば信仰は大切なり。慈音は母の教訓を信じて仏道に帰依し観音を信じ今に至るも観音を捨てず信じ居るなり。然して彼の曰く、我は音楽家なり。宇宙は音なり。音は観音なれば教主をはじめ貴尊の方々すべて我に取りては観音なり。弥陀も我には観音なり。神と云うも亦然り。故に我は観音を離れじ。母も亦我には観音なれば如何でか片時も傍を離れじと。信仰は此処迄進まずば顕著なる効果は現わるものにあらず。


                



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