覚者慈音487

           三世と四世論
           未知日記第八巻

           第二の巻
           現在の巻        其の41
  第三十四     入魂と重魂について   その壱              
              インショウ、ミキョウ貴尊講述


 次は重魂についてなるが、重魂とは文字の如く魂と魂が重なりて二つ、稀には三つも入り交はりたるなり。世人はよく云う神懸かりとか霊感とか称し居る類のものは重魂にあらず。是等の他、或場合は送入魂か又は需入魂か、但しは錯覚作用か、又は山師の種仕掛けの手品に過ぎざるなり。我等と慈音との関係は入魂の部類に属せど事実は入魂にあらず。此理は後に語るべし。兎に角慈音は二つの魂を有する人なる事のみ語りをくべし。故に慈音も重魂者の一人なり。
 古来より支那、日本には重魂の事を説きたる書物多けれどその多くは誇大に吹聴して、却って愚人を迷はしたるにすぎざるなり。中にも一人にて十二の魂を有するなど説きたるあり。是等を易者達は真面目に語り居るも笑止なり。斯くも多くの魂が雑居なすもにあらず。然らば何故かかる説を称うるに至りたるかと云うに、是は人の魂は十二陰陽の関係にて組織せられたりとの理論が枝葉にわたりてかかる迷信を惹起すに至りたるなり。是等の詳細は光明論迄に説明せられたれば省略す。人間一人にて十二の魂が雑居すると仮定して考へ見よ。実に複雑となりて珍妙なる人とならん。余事は別として長寿者の中には稀に三つの魂を有する人もあるなり。されど其以上は決して有するものにあらず。
 然らば重魂は如何なる理由にて行はるるかと云うに、是には数種ありて一朝一夕には説き難し。此大要のみを順次語るべし。是を一言にするならば世人の知れる二つ児(双生児)
三つ児の事を標準として考うるならば少しは理解することを得るならん。されど其とは相似て等しからざるなり。その訳は追々語るべし。先づ重魂の理由より語るは順序なれど是を先にする時は却って理解を困難ならしむるの恐れありと思うにより重魂なし居る人と、然らざる人との区別より説明すべし。重魂を大別すれば不動魂と動揺魂の二つに分けて考うる事を得るなり。即ち不動魂は主に属し、動揺魂は客に属す。故に不動魂は固定にして肉体と運命を共にすれど、動揺魂は固定ならざるが故に肉体は唯かりの住居なれば肉体は借家にすぎざるなり。固定魂は主人に相当して魄と云う妻を有するも、客魂には魄と云う妻はなく独身なり。故に客魂は始終定まらずして動揺なし居るなり。是は魄と云う引力に欠くる処あるに依ってなり。世人の中には修行せずして脱魂する人あり。是等は重魂の人と見て差支えなかるべし。二重魂或は三重魂の人は脱魂して他に移転するものなり。これ動揺魂なればなり。 



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