覚者慈音486

               三世と四世論
           未知日記第八巻


           第二の巻
           現在の巻        其の40
  第三十四     入魂と重魂について   その壱              
              インショウ、ミキョウ貴尊講述


 変魂自由自在に行わるるに及んで始めて入魂の法は行わるるなり。世人は既に従来貴尊方の論説を聞きて是等に関する理由は推知なし居るならんも未だ全書を読まざる初心の人の為に些か語りをく必要あるにより是を諒として聞くべし。我等は前巻との重複を成る可く避くべけれど原理は決して異なることなし。ここに一言注意しおくなり。入魂には送入魂と需入魂の二種に分けらる。従って送入魂と需入魂を統括して入魂と名づくるなり。其入魂にも神力人力の二道ありて前巻迄に説きたるは大概神力に属すなり。是よりの説明は人力に合うと知るべし。
 先づ送入とは発信にして需入とは受信なりと思いて考慮工夫すべし。世人は己の思いを他に知らしめんとするとき遠方ならば文書に、或は電信電話等に依って意のある処を伝うるは送入に合い、他より己に来る通信は需入に相当す。是等は肉体を通じての方法なれば世人は是等を当然の如く考へて不思議とも考へざるならん。されど他の動物より見る時は否動物ならずとも野蛮人、原始人には不思議と思うなるべし。今より語らんとする人間性入魂に至っては世人は不思議と感ずるならんと我は思うなり。例へば今慈音に対して講義をなし、慈音は黙々ととして点字をつき出し居るを見ば、世人は慈音が何か著作をなし居ると思うなるべし。是を知るは我と慈音のみなり。されば是に対して慈音が勝手に著作してミキョウなるものより教へを受け居るなどと認め居るは虚偽なれば信ずる勿れと語らば世人は忽ち信ずるならん。然るに事実は我と慈音と語り居るにて嘘偽はりにてはあらざるなり。されど世人は是を知らざるは恰も原始人の行う発信受信を知らざるに等しきなり。されど是を知る世人は、知らざる原始人を嘲るならん。我等にして世人を嘲る心は有せざれど、疑う心を止めて研究せんことを勧むるなり。
 世人は空より来りて空に帰るとの理由は既に承知し居るならん。又空のはたらきのすぐれたることも知るならば入魂の理由も察するを得べき道理あるべし。
 大凡人間に魂のそなはりある以上用法の如何によっては凡てを焼きつくす熱ともなり、又すべてを冷却せしむる氷ともなるなり。世人は空気を液化せしめガスを燃焼せしむることを知るならん。人の魂も同様の理あるなり。唯日々空気をそのままになしおくと同様に、魂をあそばせ居る故、はたらかぬ迄なり。話は聊か傍道に外れたる観り。もとに復すべし。
 我等と慈音との通話は大空と云う放送局より霊波と云う電波にて、慈音の受信機に感ぜしむるに等しと説きたれど世人は理解しあたはず。唯是等を神懸かりとか霊感とか信じ居る人は多からん。然し其は宗教心のあるもののみに多けれど、宗教心なき者には何れも信じ難かるべし。信ずるは愚か,信ぜざるは賢か、賢愚信不信は別として、世人は兎に角研究の要はあらざるか。何となればすべては空より生ずればなり。精神と云い智慧と云うも空ならずや。是等に対して世人は精神も智慧も肉体と共に生じたればすべては自らなりと思うならば、その智慧の増加するは何れよりの力か。其も自らなりと思うもよし。又智慧に変化を与うは宇宙の自然現象なりと思うならば其にてもよし。兎に角何れかをたしかむる研究することを需魂の法に合うと云うなり。又天下国家の将来を思い、小にしては父母兄姉朋友知己の心境に迄思いを致す等は送魂の法に合う知らば可ならん。斯くも空の研究に没頭なし居らば自づと入魂の理由は自得するに至らん。然して我等と慈音と対話なし居る理由も認識することを得ん。


 


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