覚者慈音485

           三世と四世論
           未知日記第八巻


           第二の巻
           現在の巻        其の39
  第三十三     換魂と変魂の関係              
              インショウ、ミキョウ貴尊講述


 然るに此事に関しては世人は古来の伝説或はあやまれる宗教の教へより訳もなき事を見聞して誤認なし居るを我等は知りてその無分別に寒心の他なきなり。人間に依って換魂なし居る人力換魂とは即ち悪を善に、或は邪を正に変ぜしむる法なれば心の持ちかた次第にて如何にとも転換するを得るなり。是には強き決心を要すべし。例へば世人が日々眼に触るるもの耳にするものに於ても心の持ちかた次第にて悪も善に帰せしむることを得るなり。即ち世の中のすべての事柄は木戸銭を要せざる芝居を見聞なし居ると思はば自づと心の妬み嫉みの念もおこらず、愉快の心に変ずべし。兎角世の中の人は我の為に日々面白き芝居を演じて慰め呉るるなりと思はば、凡てに感謝する気分とならん。地球と云う広き舞台に舞い踊る俳優は様々あらん。政治家に扮するあり。農夫に扮するあり。富者、貧者商人悪徒、放蕩者等々算ふれば限りなくあらん。されど我は俳優にあらず。見物人なりと思はば面白かるべし。然るに己も俳優たらんと思うが故に競争の心より嫉妬怨恨の思いをおこすに至るなり。心の持ちかた次第にて斯くも相違ある事を知るならん。さればその持ちかたの判断をあやまれば善も悪となり、悪も又善となる。故に是には智慧の力を要すべし。即ち常識判断とは智慧なり。智慧は修養に依らざるべからず。文献によって学ぶには書籍あり。又先輩者等によって学問は得れども、空なるものを見聞して空なる智慧を求むるには何によって求むべき。
 従来より学者間によって新しく発見せられたるは是又空より出でし実在なるべし。然りとせば空の智慧は偉大なるべし。故に空の智慧を求むるにあらざれば偉大なる発見はなし難し。されば空の智慧は何によって求むるや。学問然り、体験又然り、その他種々あれどすべては枝葉の空にすぎざるなり。されば空根の智慧ならでは枝葉は繁茂せざるべし。空根とは何か。曰く霊光なり。仏教にては般若心とか、仏智とか称するなり。所謂霊光によって汚魂を浄化して念力を増大せば、此処に始めて完全に望みは叶いたるなり。されば霊魂とは如何にと云うに世人は変魂と換魂とを同一の如く思い居るならんとも我等の説く変魂とは魂の枝葉を自在に用うるを云うにて、即ち臨機応変のはたらきをなさしむる魂を変魂と称するにて、是をなさしむるには換魂の完全にはたしたる後ならでは行い得るものにあらず。換魂全くならば恰も篭より放たれたる小鳥の如く、自由自在に空をかけまわることを得るに至る。これを変魂と云うなり。


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