覚者慈音484

           三世と四世論
           未知日記第八巻


           第二の巻
           現在の巻        其の38
  第三十三     換魂と変魂の関係              
              インショウ、ミキョウ貴尊講述


 換魂については従来貴尊方がしばしば語られたれば世人は知りたるならん。されど是は人力法に属するを以て世人は誤解し又実行に移すことは困難なるべし。故に此処には人力法にに関して語らんとす。故に従来とはその意味も従って異なれど結局は同一なることは云うまでもなし。はたして人力の如何によって換魂或は変魂など云う大行はなし得らるるかとの疑問を起すは無理ならぬ事なり。動物の魂を人間に変へ、或は人間の魂を動物に移す如きは神より他になすあたはざらん。斯る事をなし得たりとて其はいたづら事にして何等の利益ともならざるなり。
 世人が平素使用し居る言葉に「今日よりは心を入れ換えて」とか或は「魂を入れかえて」とか口になし居るならん。即ち人力換魂とはその部類に属すなり。人間一度罪を犯して獄に投ぜられて此処に初めて後悔して善人となるならば全く心を入れ換えたるなり。されど世人の多くは再び三度罪を犯すならん。其は何故ぞと云うに其は心を入れ換えたるのみにて魂を入れ換えざる故なり。例へば出獄の際には決して罪は犯すまじと心に誓いても世間よりは前科者として遠ざけらるれば余儀なく再び罪を重ぬるに至るなり。されど根底より即ち魂の底より悔い改むるは如何に世間より遠ざけらるるとも忍苦して再び罪を犯さざるのみか、遠ざけらるれば遠ざけらるる程一層改心の度を深くして却って人の手本となりて世を益するに至るなり。わざわい変じて福となすとは是等の事を云うならん。是正しき魂換変魂の法に合うなり。されば罪なき人ならば換魂変魂の必要なきかと云うに大凡世の中の人にして法律の罪なき人は多けれど、法律なき罪人は多かるべし。たとえ人間性初日を迎へたりとも動物性の根の残りある限り罪を犯すは是非もなし。法律の罪は定められたるところに従いて償いをなすことを得れど、定めなき罪の償いは何によってなすべきかを深く考慮し見る必要はあらざるか。もし是に対するさだめありとせば、世人は前科幾万犯の犯人となり居るならん実に怖ろしき事ならずや。
 仏は其罪の報を世人に償はしめずして自らその責を担はんとの慈悲なりと云う。真に有難きことなり。人が犯せし罪を己が身に引き受けんとなす底の心掛けならば完全に換魂はなし遂げられたるなり。我罪を他に帰せんと計る世の中に稀には他人の罪を引き受くる人は昔の侠客によく見られたり。されど是等は発作的にして常住坐臥此心をもち居るにあらず。是等は換魂にあらずして換心の部に属するなり。されど正しく換魂したるは即ち仏なるが故に是は慈悲に合うにより終始変化することなし。換魂とは汚魂を清めて清魂となしたるを云う。




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