覚者慈音480

           三世と四世論
           未知日記第八巻
           第一の巻
           過去の巻        其の34
  第三十     自然、不自然の愛と情              
            リョウジャ、セイキョウ貴尊講述


 ここに汝等に心つかぬことあり。そは他にあらず、即ち愛より変化し来る憎しみについてなり。汝等これに関して別段考慮なせしことあらざるならん。愛より生じたる憎しみその憎しみのみ消滅すとも愛の痕跡は残存す。されど憎しみより愛の生ずるは稀なり。たまたまありともその愛の消滅は速なり。愛と憎しみの関係は表裏の如く見えてその内容には微妙なるはたらきあることに注意せざるべからず。憎しみと愛とは不可分関係にて表裏にあらずとすら説明なし居る人もあるなり。その説く処を問へば愛と憎しみとは車の両輪の如く常に同時に廻転なし居るなり。故に愛には憎しみを伴い又憎しみには愛を伴うにより不可分の関係なりと。又或人は云う、愛の仇は憎しみにして憎悪の仇は愛なれば愛と憎しみは不可分にあらずして敵同志なりと。実に理屈は如何にとも云い得らるるものかな。汝等は是等の説に迷はさるることあらざるべし。もとより是等の説は深く論ずるに足らずと雖も事実に見らるる現象なれば一応は考へ見るの必要あらん。是は汝等の研究にせよ。
 兎に角動物性愛憎には斯くの如くの現象あるに依って愛情には変化を伴う。されど人間性にはかかる変化なければ愛情は通達すべし。彼等の論説の如く愛と憎しみは車の両輪の如しとあるを人間性にて云うならば愛と情は車の両輪なりと考へて可なり。故に憎しみなどは伴はざるなり。愛と情は不可分の関係ありと云うとも差支なからん。正自然と不自然の愛と情の理由は大凡斯くの如し。


               附  記


 我とミキョウと此書を合作講ずるにあたって過去現在未来篇の言葉を廃して一世二世三世となさんか、或は動物篇人間篇神性篇となすべきかについて計りしがミキョウは云う、是は一般人には過去現在の言葉は親しみ深からんと云いたるにより此語を用いたり。されど是には深き意味を有するにあらず。恰も地の巻人の巻天の巻と云うに等し。唯この書の題目が三世と四世と云うによって便宜上斯くは名づけたるなり。汝等是を諒して聞くべし。
 今汝等の頭上をかすめて飛行機はすぎたり。是にて過去現在未来は終りたるならん。後に来るものは来世なるべし。その来るものは何なるか汝等には知ることは難からん。是を知るものは神より他なかるべし。汝等には唯何が来るかと思うのみならずや。その心こそは不安なるべし。されば汝等は日々否分秒も安からぬ未来を送り居るにてはあらざるか。過去は語るの要もなく現在も亦瞬間なり。されば学すべきは未来なるべし。未来も矢弾の如く飛び来るべし。過去現在は語るも甲斐なし。過去とならざる間にこそ未来は尊く又楽しかるべし。されば未来は希望より希望へわたる経路なるべし。汝等この未来の希望を以てむかへたる我等の講話も汝等の希望を充たすに至らずして三十項目は既に過去となりて終りぬ。されど未来は未だ来らず。軈てミキョウは口を開かん。されば汝等希望をすてず未来を楽しみに待て。軈ては現在とならん。 (終)



昭和二十二年六月十三日 金曜日 朝日新聞記載
「顔の真ん中に目玉がタツタ一つ、ひとみはその中に二つある。鼻は口の中にかくれてノッペラボ-。手足の指は六本ずつ、一身に両性をかね備えた童子が高知市に生まれでた。発育はすこぶる良好で一貫目になんなんとし、けいけいたる一眼を光らせてあたりをふるえ上らせたが三十分にして息を引き取った。これぞ世界的の産物とみてとった県ではあまりのきつ怪さにともかく治安の元締め内務省に写真をそえて報告におよんだが受け取った係官一見ハタ゛にアワを生ずるものすごさに、ウームとひとこと!此の写真、とくにここへはのせない
(原文のまま)


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