覚者慈音481

                三世と四世論
           未知日記第八巻焉
           第二の巻
           現在の巻        其の35
  第三十一     初日は昇りぬ              
              インショウ、ミキョウ貴尊講述


   はしがき
 


 此講演に対してセイキョゥ貴尊が合作と仰せられたるを世人は唯 然あるかと聞き流して念に止めざるを、我は遺憾として注意を与うるなり。我の如き浅学菲才の俗焉(いずくん)ぞ合作の力あらんや。すべては貴尊の教へに従いて口述なすにすぎざるなり。是を合作の名目を下されしは一人の講演より二人の名を以てせばその負うところの責は殊更重し。故に世人の信仰の度も従って強くならんとの御心より斯くは計られたるなり。世人はその慈悲心に感謝せば疑はずして信仰を強くせよ。もし貴尊の教へにあやまりあれば我その責を負うべし。たとへ天界を追われて再び円海に戻されて世人と運命を共にするも敢て悔ゆるところあらざるなり。よってここに誓いとなす。


          第三十一  初日は昇りぬ


 動物性と称する年の暮れは除夜の鐘の音と共に何処にか退散し、今や人間性と称する初日は将に東天に昇らんとす。世人は此光明に浴する喜悦を得て歓喜に胸を踊らしつつ芽出度しの挨拶を交換なすならん。誠に楽しき正月ならずや。此楽しみの心持ちは貴賎貧富を問はずみな其々の分野に従いて一様なるべし。老若男女又然あるならん。世人は唯訳もなく正月を喜べど、其に依って重要の道を開拓せんとせざるは遺憾なり。今日は正月なれば争う勿れの一言にて争うものも相互笑顔を送りて別るるにてはあらざるか。斯く考へ来る時そこに何か大なるものを潜在し居ることに心つくならん。正月が年に一回との理由ならば、二月三月又同様なるべし。
 世人は常に正月は毎日なりと仮定して考へ見るべし。然るときは民は安らかならん。世人は民主主義をその心によって正しく認識するところあらざるか。楽しみのみは一せいになし得て苦しみは個々別々なさんとするに依って民主主義は成立せざるなり。苦楽共に正月気分とならば国家は安泰なるべき道理ならと我等は思うなり。世人は熟考してここに着目するところあらざるか。民主主義、国家主義、大衆主義等々の言葉を寧ろ正月気分主義と思いて工夫しては如何! 正月のみは立つ子、這う子に迄及ぶなるに他の事のみ一ならぬと云うことはあるまじ。ならぬは礼を知らざる故なるべし。
 「正月や門松たてず餅搗かず、かかる家にも春は来にけり」と云う短歌より考うるも明らかなる如く、貧しき生活にも心の用いかたによっては楽しきに変ぜしむることを得るにてはあらずや。病の床に呻吟しながらもせめて元日なりとも共に笑顔を見するにてはあらざるか。是は心の持ちかた一つで如何にともなるものなり。まして敗戦の憂目を見たる日本人は国家再建と云う重き責を担い居て浮き浮きと暮して居られぬ筈なり。楽しみばかりは正月にあらず。苦しみも正月と心得て共に耐え忍ぶの思いありて可ならん。其は兎に角、今や世人は動物性の苦患を離れて人間性の初日の霊光に浴する喜びを得たるは真に慶賀の至りなり。従来動物性の正月には屠蘇の酒に酔い争いなどを惹き起し、相互傷く等醜態を演ずるなどのあやまちを犯せど、人間性の正月は歓喜に充たされて和気藹々(わきあいあい)真実言語に絶する楽しみとなる。初日の栄光は冷やかなる心をあたたむる故に人に交はるに熱情を以てして真をしくして偽らず、故にすべては通ず。通ずるに依って他も自も疑わず、ここに真と真との交はりを深うす。真を以て交はりを深くするに何とて争いの生ずべきことあらんや。争いは疑いより生ずること多ければなり。斯くなしてこそ永遠の平和は保たる。神の恩恵によって作られし人の性は前なり。善とは清きを指し、悪とは汚れを示めす。
 大凡ものの始めより濁りしは稀にして清く澄みたるは多かるべし。清きは神の心に合い濁りしは悪魔の心に合はん。悪魔は疑いを喜び神は信(まこと)を愛す。清き心は信にして汚れたる心は乱なり。信は徹し乱は徹せず。世人は正月のみにても清き心とならんとて怒らず、悲しみを互いに戒めあいつつあるを我も体験しあるによってよく知るなり。人間性の正月こそは三六〇日悉く是正月なり。日々是正月、年々是正月なりと思いて可ならん。正月一日にても悲しまず怒らず心を抑圧なし得らるるならば、心次第ににては毎日なし得られずと云うことのあるべき。動物性に於てすらなせばなるなり。まして人間性なるに於てをや。なさんとせずとも既になし居るなり。斯く語らば世人は動物性は全部消滅して人間性に化せられたりと思はば大なるあやまりなり。是は単に冬眠なし居るに過ぎざるなれば軈てはめざめて又活躍をはじむるならん。今やこの初日をむかへて人間性は誕生したり。世人は此嬰児を完全に養育して動物性の冬眠より醒めざる間に何とか対策を講ぜざるべからず。然らずば従来の努力は水泡に帰せん。
 さてこの方策を如何にすべきか。はたしてかかる法のあるならば早く知りたからん。此説については古来より様々の方法を伝へ居れど近来人には理解し難きこと多ければ、その中より是も適当と認むる法を一つ択びて伝うべし。その法と云うは脱汚魂或は脱汚心(仮称)と云うなり。




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