覚者慈音477

           三世と四世論
           未知日記第八巻
           第一の巻
           過去の巻        其の31
    第二十七   自然に従いて動物性より免れよ              
             リョウジャ、セイキョウ貴尊講述


 或浄土宗の僧弟子達にむかいて、我は日に百万遍の念仏をなし居れり。汝等もせめては十万遍の念仏せよと申置きたるに或日一人の弟子師にむかいて云うよう、我一日一夜眠らずして念仏申したれど十万遍は到底申されず。然るに師は如何にして百万遍の念仏なし給うやと。師の僧答へて曰く、念仏と仏の名をよび称うるとの相違にて汝は弥陀の名をさけび終日続くるとも一遍の念仏にも及ばざるなり。感謝の念より知らず知らずほとばしり出づる声はその程度によりて時には一声百遍にも相当するもあり、或は千遍万遍にも相当するもあるなり。又念の力によりては一声百万遍にも相当するもあるべし。されば汝等声ばかりにて空虚なる空念仏に終らざるよう念仏せよと教へたりと云う話あり。又是に類する話あり。
 或弓の名人が門人に教へて曰く、汝等弓術を上達せんとならば先づ曲らざる矢を択ぶべし。曲らざる矢はすくなきものなれば無駄になすべからず。然して目標は一矢にて射んとの信念を強くするには己百本の矢を持ち居るも此矢は最後のものにて射損ずれば後に何ものもなしとの心構へにて初心者は修練せよ。然せば案外無駄矢はすくなきものなり。されど其は初心の間に上達せば目標と射手と一体なるによって一矢は万矢に匹敵んと教へしと云う。是等二つの話は同一の意味なり。此理については追々に語るべし。弓の師は最後に遠き目標は近きにありと考へ近き目標は遠きにありとの思いにて初心者は錬磨せよと。汝等此話を弓術或は念仏者のみの教訓として聞き逃がすこと勿れ。すべての芸術はもとより諸々の事柄にも通ずる依ってなり。
 さて自然に従いて動物性を離脱するを得るやについて、先づ動物性とは何かと云うことを先にたしかめざるべからず。此動物性については従来より説明なしたれば今更ここに喋々するの必要もなからん。されどその複雑きはまりなき動物性にも何処にか一つの根のあることに注目せざれば容易に離脱は望まれがたし。故にその根を見出して是をぬかざるべからず。その根とは何か、曰く、執着なり。即ち諸々の煩悩の生ずる枝葉なるべし。此根をぬかぬ限り煩悩は消滅せざるべし。然りとせば動物性を離脱するには何を措いても此執着を目標として是を除去するにつとめざるべからず。執着の根はかたくして容易にぬきとることは至難なり。是を慮って仏教は念仏法を案出したるならん。其は別として執着は肉体に属するか、或は精神に属するかを考へ見るべし。肉体に属するならば其は大地自然にして精神に属するならば天の自然なるべし。されば執着とは引力性なれば天の自然を受け入れて地中より発生したりしと見なして可ならん。故に執着は地の自然を多分に有し居るにより肉体に帰せしむるを適当とす。かく考へ来れば執着なるものは不中の不にして正と云うものの加はりあらざることを知るならん。されば是を加へて中和せしめざれば除去することは難し。正は地より求むべきか。言はずもがな天よりうくるの他なかるべし。即ち身心一体とならざれば目的は達しがたし。身心一体となりて執着にあたるなり。然してその根をぬきて動物性を人間化せしむれば仏教に云う仏凡一体の境涯になるなり。天地の自然に順ずるには先づ身体一体とならざるべからず。身心一体となりてはじめて正しき分別のわき出で来るなり。動物性の分別は空行く雲の如くなれど、人間性分別はかかるあやまち少なし。分別加はるに従って愛情の心も亦感謝の念も加はり来る。然して動物性の愛情又は感謝とは大なる相違あるなり。されど愛と情は執着を誘うこと少なからず。感謝の念にはかかる事の心配なし。感謝するは礼なり。礼は霊に通ずる道理あるべし。所謂感謝の心深くせば執着は従って影を没す。斯く語り来らば前記二題の話との関係は汝等も覚りたらん。即ち念仏とは感謝の声に通うなり。弥陀とは誰なるか。即ち汝が身体に宿れる霊なるべし。その霊に礼のための感謝を捧ぐるを念仏せよと教へたるならん。然るに世人はその意味を曲解して弥陀は天国にあると思いて念仏は外にのみ心をはしらせ内を顧みざるにより動物性念仏となる。是即ち空念仏なり。動物性の感謝は通り一遍の挨拶にすぎず。故に徹底せざるなり。師の僧は空念仏を誡め弓術の師は曲矢無駄矢を射る勿れと教へしも同様なり。又芸道錬磨して上達せば目標も弓も一体となると云いしは即ち自我一如を現はし又近きを近きとせず、遠きを遠しとせずとの意味は内外一体とせよとの教へなり。仏教に於ても弥陀は十万億土を求むるに及ばず、汝等の身体に宿り居れりとの教へも同様なり。我等の語るところの感謝の声は念仏或は弓矢に匹敵す。将に感謝の声は霊に通じ霊はその声に応じて現出して執着の根はぬかれて動物性本能の煩悩の枝葉は枯れて其が堆肥となりて却って身心の養分に化せらるるなり。                                                     
                    
                  

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