覚者慈音478

            三世と四世論
           未知日記第八巻
           第一の巻
           過去の巻        其の32
  第二十八     執着を離れて自由を得よ              
            リョウジャ、セイキョウ貴尊講述


 天地の自然は人間はおろか動植物に至る迄自由をあたへあるに不拘、人は僅少の才能に誇りて自然に従はずして自然に逆行するに依って真の自由を得ることあたはずして常に不平不満をなし居るなり。何時も語り居る如く汝等は我儘と自由を混同なし居りて真の自由を知らざるならん。故に求むれば得らるる自由を求めずして苦しみ居るなり。されば先づ自由と執着とは如何なる関係ありやと云へることより説明すべし。
 汝等小鳥を籠に養いて寵愛す。されど小鳥の身になりて考へしことありしか。もし小鳥にして言葉あらば早く山に帰らしめよと歎くならん。汝等心と云う小鳥を肉体の不自由なる籠に押し込めて寵愛なし居るによって心の小鳥は籠の中より大空を自在にかけまわり居る己の友の姿を見て我も斯くありたしと羨むなり。その羨みはねた間も忘れずして執着となり嫉妬となりて貪慾(どんよく)となりて煩悩の炎を燃やすに至りたり。故に是を長く苦しめず戸を開らきて放ちやるべし。されど放ちし後も戸は閉ざす勿れ。何となれば鳥はねぐらの籠に帰ればなり。雛より育てられたる小鳥は大空を飛行するもねぐらは決して忘るものにあらず。斯くすれば小鳥は羨みの念をはなれて明朗とならん。是執着を離れて自由を得たるによる。汝等この説明を如何に考うるや。判明したる如く又解し難かるべし。すべて執着心は肉体欲求とのみその欲求を満足せしむれば執着は消滅するとのみ思はばあやまりなり。執着は肉体にあらずして心の動きより生ずる迷いなり。即ち帰するところは心をとざす扉こそ執着なり。何となれはすべてが心のままになるなれば執着は起らざるべし。故に執着の扉を開らきて解放し自然の自由に浴せしむべし。斯く語らば至極簡単なれど実行するは容易の事にあらず。人は生活の安全を計りて種々様々の約束を設けて自由を得せしめんとして却ってその約束の縄に縛られて不自由を感じ居るは即ち自由を曲解なし居る結果なるべし。約束は一人のためならず。相互の世渡りを計つて設けたるならばかたく守ことによって自由は得らるるなり。然るを己都合あしければ約束を破り約束を非難する如きは我儘にて自由にあらず。肉体の縄は縛し又解くことを得れど心の縄は解縛は困難なり。故に一度いましめらるれば解脱はきはめて困難なり。されば心の縄は何によってほどくべきか。修養によってなりと答うるか。修養の手にてほどかんとせば大なる努力を要すべし。されば誰もがなし得らるる法はなきかと云うに我等は先に語りたる感謝の声を送れば慈悲と云う大なる妙智力の手はさしのべられてたやすく解放せらるるなり。汝等疑うこと勿れ。慈悲は絶対自然より生じたる特性なればなり。籠の小鳥は人の情けにて解放せられて出入りの自由を許されたれば大空を駈けまわりてねぐらの篭に帰りては翼を休む。然れば心の小鳥は如何にと云うに是は慈悲の手によって執着と云う堅固なる扉は全く完全に取り外されたれば霊の大空を思うさま、かけめぐりて疲れたれば肉体の篭に翼を休むるなり。霊の大空こそは無限大にして飛行は如何に続くるともはてしなければ一飛び十万億土はおろか千万億土も翼を鍛へざれば思う方向へ飛行するを得ざるべし。かく錬磨することによってはじめて真の自由は得らるるなり。汝等心の鳥は従来篭にとぢこめられて翼は弱し。早く解放せられて翼をきたへよ。




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