覚者慈音476

               三世と四世論
           未知日記第八巻
           第一の巻
           過去の巻        其の30
    第二十六   自然と不自然について              
             リョウジャ、セイキョウ貴尊講述


 汝等過失によって己自ら肉体に痛みを感ずるとも其にはさのみ腹立ちを感ぜず一種名伏し難き気分とならん。其は如何なる方面に属せしむべきか。もし其が他人より受けし痛みならば怒りとなりて復讐の念に燃るは人情なるべし。然りとせば自らのあやまちより生じたる痛みはそのあやまちに対して怒りの念を催し居ると考へて差支なからん。さればこそ外人は兎に角、日本人の小児があやまって痛みを感じたるその母は痛みをあたへし箇所を手に打ちて小児を慰さむれば子は涙を止め居るを見る。日本人の復讐心の強きは斯るあやまちたる教育をなすに依ってなり。是等は正自然を応用して不自然に変へたる結果なる事は云う迄もなし。父母の仇を打ちたれば孝子と称し、君の仇をかへしたるを忠臣として君父の仇は共に天を戴かずなどしの教育は早く改むべきことなるべし。
 汝等夏のむし暑き日雲低くとぢこめて風なき部室にありて小児の泣き叫ぶ声を聞き剰(あまつさ)えそうぞうしき雑音に耳を打たれなば神経苛立つならん。とりわけ病弱者には堪え難き苦痛より腹だたしさを抑圧する力なきに至るべし。是等の現象は正不何れかに属するかと云うに、即ち前にも語りし如く自然には正不に関係なく引力圧力或は陰陽の区別ありてその陰性がはたらきて低気圧を発生せしめたるにて、是は正中の陰に属すむなり。然れども健康者には唯陰鬱を感ずるのみにて立腹は起さざれど虚弱者には陰性の圧力になやみを感じ是を是正せしめて苦痛より免かれんとここに反射的反応争闘を起し居る時、他より陰性に加勢し来る泣声騒音等に堪えかねて生ずる立腹なれば是は不自然にあらずして帰する処は不健康の原因なりと見て可ならん。故に修養のつみたる人と雖も虚弱なれば抑圧する人は少なし。又是等とは反対に晩秋の晴れたる一夜旅寝のやどにて月を見る時虫の音も哀れに聞え遠寺の鐘の音にも胸を打たれてそぞろ故郷の空に思いを致す時わけもなくまぶたに熱きものを感ずるに至るは前説とは反対の現象にして是は陽性自然が人心をひきつくる結果ここに故郷を恋する心が淋愁に変ぜしめて自ずと涙を誘うに至りたるなり。是等二つは前者は陰自然後者は陽自然にて正不とは又別個の関係ありと知るべし。又健康なる児童は嬉々として楽しげなり。是は陽自然のはたらきより生ずる原因なりと知りて可ならん。故に喜びと怒りは陽に属し、悲しみと楽しみは陰に属せしむる関係あるなり。是等に関しての詳細は後日機会あらば語るべけれど今は是迄に止めて正不に関して講義を続くべし。
 我等汝等日常生活の様を見るにわけもなき事より喧嘩口論して己自ら曲解して怒りしことを知りて後に謝罪なし居る事を見て哀れを感ずる事あり。又娯楽のために金品を賭けて検挙され罰せらるるもあり、或は婦人が嫉妬心より夫の帰宅おそきを怒り悲しみ後に訳を聞きて笑うなどの例は列挙すれば限りなし。是等を自然の正不より考察すればすべては大地自然の陰陽何れかに属す。故に天の自然より遠ざかりたる故なり。依って是等は不に帰せしめて可なり。何となればこの種の喜怒哀楽は肉体神経の現はれにて分別の加はり居らざるなれば所謂地のはたらきに多くして天の力なければなり。又他人の喜怒哀楽のさまを見てその理由の何なるかをきはめずして同情より喜怒哀楽を共にする人あり。是等も肉体本能より生ずるなれば是は不中の正に帰せしむる道理あるなり。又精神のみに偏りて肉体を忘却したる喜怒哀楽は肉体現象と異なり分別ありての結果より生ずるを以て、その程度は深刻なり。故に永年の友とすら絶好なす如きことさへあるなり。是等も一方に偏するを以て不に属する場合もあり、或は正に或は不中の或は正中の不に属す場合もあるなり。此理より推して考うるも明らかなる如く正不を一体化して用ゆるにあらざれば正しき自然に順ずるを得ざるべし。

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