覚者慈音467  三世と四世論  過去の巻  生の執着を喜びに変へよ   セイキョウ貴尊講義

           三世と四世論
           
未知日記第八巻
           第一の巻
           過去の巻        其の21
    第十八    生の執着を喜びに変へよ              
             リョウジャ、セイキョウ貴尊講述


 汝等この世に生をうけしは父母ありしに依ってなりとは小児と雖も知るところ、されど其以前は何なりしかと聞かれたれば智者も学者も答うることあたはざるべし。汝等父母より生れしと思うは肉体ならずや。智者学者は云うならん。人間は始めより人間にして前後の区別はあらざるなりと。汝等如何に考うるか。道理なりと思うならん。然り其は事実にて禽獣虫魚悉く性に従いて生れたるなり。されど其は物質にして実在なり。我の語るところは左にあらず。我の云はんとし又聞かんとする処は即ち空なるにより魂を指すなり。故に肉体は如何にあらんとも心は動物ならば其は人間とは云い難し。牛馬の中には普通人よりすぐれたる才能をそなへたるものもあるなり。もし彼等に言葉を発せしむるを得ば人間は赤面の他なかるべし。汝等幸にも人間として生れしを喜ぶならん。その喜びが即ち執着心を誘うの結果となりたるとも見ることを得ん。さりながら牛馬と雖も生の執着は人後におちざるならん。猛獣に於てすら生命を救はるればその恩に報いて危害を加へざるなり。然るに人間の中には恩に報ゆるに仇を以てするものすら見うけらるるは畜生にも及ばざるべし。そは別として汝もし九流界迄引き上げられてクゥワオと称する動物に移されなば、汝等は如何に考うるならんと我等は思うなり。此クゥワオと云う発音は正確ならず。されど汝等の世界にはなき音なれば似通いたる音を用いたり。此動物は言葉を自由に用い  智能もそなはり手足も八本あり頭は二つありて前後左右同時に見え、翼ありて空を自由に飛翔し又水中は自由自在に遊泳し溺るることなき珍妙の動物なり。されば彼等は住みたき処に住居し、其処に飽きれば転々として居を移すなり。彼等は決して争はず、互いに睦まじく娯しき生活を営み居れり。彼等は汝等の如き愚物にあらねば九流界の人の為に使役せらるるに不拘、陰日向あることなく恰も人間の如く働き居れり。彼等は如何なる複雑なる機械と雖も操縦するも決してあやまつことなし。四本の手を以て異なる仕事を同時に行うと云う器用と才能を有せど彼等は動物にして人にはあらざるなり。この事に依って見るも汝等は神の恵によって受け難き人間となりたれば、愚なりとも人として生れしことに対しては喜ばざるべからず。然してその喜びと共に前途の希望を抱きて人間としての任務を完全にはたしをかんと心がくべし。たとへ滅後は如何あらんとも任務は任務なり。その任務は己に架せられし天の使命なれば臨終にあたって心残りなくんば眠りは安からん。
 クウワオは長生を厭うなり。即ち彼等は斯くすれば斯くなることを知り居るに依ってなり。即ち彼等は動物なるを自覚し居るにより早く度脱せんことを願へばなり。もし此動物が汝等の世界に置かれしならんには多くの人より神仏とも敬い尊ばるるならん。如何に尊ばるるとも動物は動物の本能を免がるるを得ざるなり。汝等は人として生れ動物としてくちはてんとなすや。然りとせば真に悲しむべきことならずや。汝等の世界には種々様々の動物に帰依し居るを見る。されど是等の動物は如何に通力自在なりともその通力に依って人間を引き入れその功徳にて己自ら畜生界より度脱せんとなすにすぎず。如何になすとも畜生は畜生にすぎざるなり。余事は別として汝等は畜生ならぬ人間として生れしは今後は進化すべき一歩を得たるなり。進化すべき一道を授けられたるなり。人語を話すも鸚鵡は鳥なり。智能すぐれたりとてクゥワオは獣類なり。汝等は人の皮膚をまとへる獣類となること勿れ。されば人と生れし以上命数の未だつきざる間にクゥワオの如く斯くすれば斯くなることの理を悟りて人間本能の執着を離れて喜びて次の使命を静かに待つべし。

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