覚者慈音466

           三世と四世論
           未知日記第八巻
           第一の巻
           過去の巻        其の20
    第十七    生中の生死 死中の生死              
             リョウジャ、セイキョウ貴尊講述


 人間一生昼夜を生死と見なすならば即ち其は生中に生死ありの例としてうなづくところあらん。されど斯る浅薄なる事に依って正しき生死を明らむるは難し。然りとせば如何なる事によって正しき明らめをなし得るかと云うに、是は一朝一夕に説明なし難し。仏書の全部が殆ど生死問題に重点を置き居るにもかかわらず、是を学ぶものすら明らめは難きなり。生死は斯くも複雑微妙の関係ありて本心より大悟するは難し。されど一度悟らばきはめて簡単なることも亦事実なり。何故かかることに囚はれて今迄苦しみたるかと不審する底の訳もなき思いとなるべし。或人臨終に妻子家族を枕辺に集めて一個の守り袋を首よりはづして是を示めして云うよぅ。我、年来暫しも肌身離さず持ち居たりし守りなり。汝等この中をよくあらためよ。然して汝等も是と同様のものを作りて生涯肌身はなさず用うべしと云いて微笑みつつ死したり。後に開き見れば一葉の紙に記されありし文に曰く、「我、何日何時お召しにあづかり候とも直ちに参上の用意整い有り是候」と認めありしと云う。この覚悟ある人こそは半ば生死を明らめたるなり。汝等せめて此覚悟ありて然らん。他より他行をたのまれし時、今は都合あしきとて謝罪すれど命数が都合わるしとて謝罪するも許されざるべし。此理を考うれば汝等日常の仕事は速かに整理してその日その夕べ死したりとも悔やむ事なきようなしをく底の心掛けなくんばあるべからず。汝等臨終を遠く考うる故に平素と切りはなして処理すれど日々は臨終なりとの観念せば朝夕その心して業務に励みてあとに心を残さざるよう整理する人とならん。この事は既に貴尊が行法に於て説かれたり。我、もとより重複を承知にて今少し語るべし。兎に角今日は臨終なるが故に役目ははたしをかんとの思いにて業務に励むべし。是ぞ生中の生死を明らむる方法なればなり。所謂明中に明暗あり。暗中にも亦明暗あるの理に基きて案出したる法なるべし。故にこの法に従いて修行せば生死の明らめは必ず得らるべし。
 即ち太陽は地球の半面を照らしつつ一日に全面を照らす。これ即ち生中の生死なる如く是を人間にあてはめ考うれば頷くところあらん。されば是と反対に地球の反面は蔭となる故に是は死中の生死なるべし。
 光明より光明へと進む人は即ち生中の生に合うなり。然らば死中の生死とは如何なるを云うか。是即ち暗夜に旅する人を指すなり。わづかの星明りをたよりとし稀には月の光に浴して是を一つの光明と心得て他に其以上の光明を知らぬ至極哀れなる世渡りなすを死中の生死の人と云うなり。
 されば是等哀れなる人に対し如何なる法を用いて救うべきか。もし捨ておかば彼等は夜の鳥地中の動物の如く化せられて日光の光に堪え得ざるに至らん。斯くなりては永久救うべき術なく又救はれざるなり。故にかくならざる間にあたたかき情けの光明を送り、徐々に光の度を強くして最後に慈悲と云う太陽の光明に浴せしむれば救うことを得るならん。死中の生死にあへぐ者は魂屑となるにより蝙蝠界に移さるるは当然なるべし。余事に亘れり。されど汝等蝙蝠人種となるなかれ。


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