覚者慈音459  三世と四世論  同化感応について  セイキョウ貴尊講義

              三世と四世論
  
              
未知日記第八巻
           第一の巻
           過去の巻        其の13
    第十     同化感応について              
             リョウジャ、セイキョウ貴尊講述


 同化感応には人智の及ばざる不思議の現象の現わるるものなり。夫婦が完全同化したる場合妻が妊娠して俗に悪阻(つわり)となれば良人も同様の症状を現わし、分娩後夫婦共に乳を出す等の現象も同化によりうけし感応の現はれによるはたらきなり。是等の種類を算うれば枚挙にいとまなし。是等の事は感応の一部にすぎざるなり。現在の医学にては未だ不明瞭のまま研究せんとなす人もあらざるなり。但し此の現象は正しき修養修行によって得たる感応にあらずして変態感応なれど、感応作用なることは同様なり。所謂変態感応なり。我等先に語りし感応論に於て述べたれば感応の意味は理解しあるなりと信ずれど、この篇に於て説明せんとなすところとはややその意味を異にす。されど原理は同一なることは云う迄もなし。感応論に於て語りし感応術催眠術などすべては強制的の方法にして謂はば人工的に感応せしむるにより是等は不自然に属すべし。故に是等は技工を要す。されど今ここに語り居る同化感応には技工を要せずして相通ず。其は自然感応なるによりてなり。自然と人工とには斯くも相違あればなり。即ち自然感応の原理を応用して案出せられしは人工なればなり。感応論にて語りし無心の知らせ、或は霊感と称せらるるは自然同化の感応に属すなり。汝等同化の意味を正しく理解せしか。同化とはその対象となるべきものを同一に化するとのみ考うるならばあやまりなり。即ち草にむかえば草に化し、花にむかえば花に化すと云えるを汝等はすこし誤解なし居る如く、我等は感ずるなり。さればこそ欣情は慈音にむかって円海も恋愛の体験はありしかと(昭和二十二年六月二十一日、こだま会にて)是に答えて慈音はあるならんと不得要領の言葉をあたえたり。即ち慈音は欣情の意中を測りかねてなり。されど欣情は未だ同化の理由を認識なし居らずと見るも差支えなかりしなり。何となれば欣情は認識なし居るとせば斯る質問はなさざるならん。然し周囲の人の集りに対して座興の質問なりしやも計られずと考ふれば、慈音の曖昧なる答えも亦是非なし。依って我は代りて回答を与うべし。恋愛の心は同化より生ずる現われなり。或る僧の句に、「本来の面目坊の立姿、一目見しより恋となりけり」即ち恋は同化の発芽なり。成就して完全同化となる。即ち成就とは感応なり。故に円海は天界に焦がれて老衰する結果感応して思いを遂げたるは全く成功したるなれば、円海こそは大なる恋愛決行者なり。汝等この理を知らば同化感応の理由も認識なしたるならん。其と同時に円海が語り置きしすべての事柄をなさんとならば、恋愛なす如くせよとたはむれの如く気軽に教え居れど、斯くも重大なる意味を有するに心づかざるは愚なることならずや。即ち身も魂も打ちこんで恋する如く同化せずば感応と云う成就はせずと教えたるなり。汝等は同化と混同、或は同化と密着とを同一に思い居るにてはあらざるか。もし然りとならば其はあやまりなり。たとえば一個の箱に米を入れありとせんか。今他の箱の中の米をとりて其箱にうつされたりとも、其は相方交はりたるにて同化にあらず。又幾枚かの紙をのりづけして一葉の厚紙を作りたりとて是も密着せしのみにて同化にはあらざるなり。この理を知りて考うれば米はそのものの持つ役目、紙は紙としてのつとめせば同化すれど、他には同化は望まれずとの結論とならん。是を人類について考うれば如何なる結論に達するや。是は汝等の判断にまかすべし。是が判明すれば同化感応の理由は自づと認識するを得ん。

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