覚者慈音453

              三世と四世論
  
              
未知日記第八巻
           第一の巻
           過去の巻        其の7
       第五 大地大気の感ずる理由              
             リョウジャ、セイキョウ貴尊講述



 先に我等が語りし如く地球と人間の組織は同体一如にして不可分の関係あるなりと説きおきたり。是等の理由は光明論にて詳細説明なしあれど真に理解なす人は稀なることを我等知るによって一般大衆に理解なし得る説明をあたえんと欲するによりここに再記して語ることとすべし。すべて万物を生存なさしむるにはその形状の如何にかかわらず原理は一にして二つなしとの事を知らば認識するならん。宇宙広くとも一定の法則よって生存なし居るなり。されば形状は種々様々に変化せらるるとも生の法則には決して変化はあらざるなり。故に一度生をうけてその法則に従いて進まばたとえ形は如何に変化すとも滅するものにあらずと知るべし。汝等は此意味を悟らずして光明論を学すとも其は俗に云う宝のもちぐさりに等しかるべし。微生物の中には一秒間に何千万と発生するもののあること汝等も既に知るところ、又一個の細胞に於ても個々特有のはたらきを有す。即ちはたらきあるは生命あるによってなりと知らばすべて死と云うものはあらざることも推して察するを得ん。この事柄より推理せば全宇宙は生の連続なりとの結論に達すべし。然り、然あるなり。即ち生より生へとはてしなく続くなり。我、自在論に於て空源体性と仮称したりしも是を一言詞すれば生の一事に帰するなり。又霊と云うも霊根と云うも亦空と云うも帰するところは、即ち生を指すなり。所謂死を伴はざる絶対の生を指すなり。されば死とは何かとの問題も生ずるならん。されどこれ等に関しては追々語るべけれどここには一言だけ語りおくべし。死と云う事は任務を果したると云うことにあらざるべからず。されど一般人の多くはつとめ半途(なかば)に終る死なりと云うも過言にあらざるなり。朝起きて夜半床に入るは生れて死したると同様なりと思うべし。詳細は後に語らん。兎に角汝等が口にして居る本来空の妙味とか一切空に帰するとか云う言葉を要約すれば、生の味生にかえるとの意味に考うれば自づと空の意味は理解するならん。生死を有する生は作り出だされたる生なるにより、是は空にあらず。作り出だされたる生が滅してはじめて生に帰する。これを、絶対生即ち空と云うなり。この事柄の道理を認識して光明論を読まば理解は易かるべし。そは別として異なる素質を有する多くの微分子が集合して個々の特性をはたらかせて光をつくり形を作りて万物は組織せられて動植物は生存するに至りしは、汝等も承知し居る事実なれど其は如何なるために造られしかに至っては未だ考へしこともあらざるべし。




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