覚者慈音439

テッシン講録再続篇 下      未知日記第七巻


第十期至らば如何なる変化を生ずるか    其一
                     その39
       
                     第四の巻
                      
             インショウ、ミキョウ貴尊講述


 所謂人だまを一言にてわかり易く説明すれば、暗夜提灯をともして道を行くに等しと思はば可なり。我の語らんとする遊魂帰魂及び換魂とは斯るものを指すにあらず。先に語りしは精神的の理論にして云はば肉体を伴ふものなれば、小乗的より解釈を下すによって物理的方面より推理せざるべからず。されど霊的方面より考ふる時は却って理解は容易なり。霊的の遊魂帰魂は心理学より判定するによって比較的理解は容易なり。
 先にも語りし如く霊と云ふ望遠鏡、或は霊と云ふ受話器によってすべてを観望し、又すべてを聴聞するにより、歩みを進むるの必要なければ遊魂には霊鏡を用い、帰魂には霊鏡を外せば事足ると思ひて可なり。又魂換とは自他の魂を交換するにあらずして、従来の不自然より神界の大自然に帰するを云ふなり。我、世に在りし頃、氏り教へられて脱魂の法を授けられたれど、一般人に是を伝ゆるは易し。されど斯る事は有害無益なれば学ばんと望むなかれ。
 十期末より十一期に進まば斯る事は学ばずして悟り知ることを得ん。とにかく拝みする心を拡大強化することに専心努力せば道は明瞭に世人の歩みを運ばしむべし。十期の最終末に達せば霊眼霊耳は明らかにすべてを観聴してあやまたず。事の善悪邪正は悉く知るを得て、更にその非は改めしめ是は一層発揚せしむる力備はるに至らん。心眼より一層強化せられて、霊眼は神より受くる真の神の眼に合ふ故なり。此眼は即ち宝鏡にして映せば真影を宿す故に欺くことあたはず。
 
 



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