覚者慈音425  テッシン講録再続篇 下  第六、第7,第八期の拝みについて  インショウ.ミキョウ貴尊講義

テッシン講録再続篇 下      未知日記第七巻


第六、第7,第八期の拝みについて     其一
                     その26
       
                     第四の巻
                      
             インショウ、ミキョウ貴尊講述


 今日本の現状を見るに戦争前迄は百万円と云はば大金持ちとして世間より羨まれ居りしに、今戦争後の価値は如何? 百万円は低下して物によりては一個の品に匹敵する底に下落して世の羨望とはならざるならん。財宝は斯くもたのみ難し。されど天爵は決して低下するものにあらねば一度授けらるれば力は永久にして異彩を放たん。肉体と精神との作用は斯る点にすら隔たりを有す。故に精神の信仰は肉体に比して修行も亦至難なることは察せらるるなるべし。今日食なくとも明日ありと思はば今日の絶食はさして苦痛を感ぜざれど、今日生命あれど明日死すと定まらばその苦は堪えがたからん。幸に是を解するを得ざるはせめてもの仕合はせなるべし。然るに精神信仰に通達せばすべての苦悩は消滅して影を止めざるにより生死にこだわらず。故に今日ありて明日死するもよく、又生きるもそは天の許し給ふ処にて、我のあづかり知る処ならずとの観念なれば苦にもならざるなり。生死の悩みを救はんとして、キリストの名によって天国に安楽を求めよと。又念仏題目によって極楽に到りて滅後の楽みを説きて其苦を和らげんと計り、世人は半信半疑ながらも滅後の慰安になし居ることも事実なり。故に世人は今一層此理論を明らかにして是は己自ら有する霊光の徳なりと知るを得ば、行ぜんと欲するは人情の然らしむる処なるべし。
 人にして常にその不安を感ずるも悟りを得ざる故なり。何事に限らずすべてを明らむれば不安はあらざるならん。霊光は智慧の根源なるにより、すべてを明白ならしむ。故に苦み等あらざるなり。世人はよく治に居て乱を忘れずと唱へ居れど、現代日本は治に至りたるに既に乱を忘れ居るにてはあらざるか。今欣情は戦い終りて十年も経たる如く感ずと、称へ居るにても頷るならん。肉体信仰は斯くの如く、治に居て乱を忘るれど、精神信仰は然らず。治に至りても乱を忘れざるが故に、乱に居るとも動ぜざるなり。治にも甘んぜず、乱にも動ぜざる底の修養は精神拝の法則措いては、他に道はあらずと云ふも敢て過言にはあらざるなり。動ずると云ひ、又甘んずると云ふは不安なれば、不安の生ずる根底に逆上って究むれば自ずと不安を消却する工夫を案出することを得ん。安からぬ心は意志薄弱にして臆する故なり。故に何事にも動ぜず思慮分別深ければ不安の念は起らざるべし。生活の不安はひとにとりて最も重大なるべし。働きし上に働くも深刻に襲ひかかる食糧難には、敗戦国日本人に取り頭痛の種子なり。此不安に直面して動ぜざる底の人は幾何ありや。此不安に禍ひされて修養修行の道を等閑にして表面のみ再建再起を口に唱へて、闇の品を買ひあさることに汲々たる人の往来繁きを、我は見て慚愧に堪えず。人情は斯くも小さきかと感慨無量なり。此秋にあたり自若として世を救はんとする人物を養成せざれば、日本の再建は望まれざるべし。話は枝葉にわたりたり。もとに復すべし。

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