未知日記霊話集千六百八十八回  帰途案内記 NO108 人道のみ近道を考へ命数のみ遠路を考ふるが故に、ここに両者の隔りは益々距離を長くす。人道を正しく歩み命数の道を正しく歩まんとならば、両者の距離を一体化せしめて進むにあらざれば、目的は成就し難し セイキョウ貴尊講義

未知日記 第十巻 帰途案内記       
巻の二
転界の巻 
NO 108
セイキョウ貴尊 講述

                    
 然るに世人の転界は、一方は進ませ一方はおろそかになす歩みを続くる結果、身心の平均を欠くによって足並みは揃はず。故に平衡を欠きて安からぬ転界をなしつつあることに心せざるべからず。例へば世人の歩む道は先輩者によって作られある大道あるに不拘、何とかして近道を歩みて目的の地に速かに到達せんとはかり居れど、命数の近道を急がんとする人はなかるべし。命数のみは一秒たりとも長からんことを、否遠からんことを願ふならん。是即ち平衡を欠くに等しとは考へざるか。命数を運ぶ大道には近道は考へざるべし。その大道より尚遠き道を作らんと考ふるならん。此両者を比較して考へなば修養の法は自づと判明する道理あらん。人道のみ近道を考へ命数のみ遠路を考ふるが故に、ここに両者の隔りは益々距離を長くす。人道を正しく歩み命数の道を正しく歩まんとならば、両者の距離を一体化せしめて進むにあらざれば、目的は成就し難し。我等は世人をして速かにさとれよと云へる言葉を屡々用い居れり。我等の速かと云ふ言葉はあやまてる考へを早くすてよと云ふ意味の速かにして、大道を歩むには速かと云ふ意味にはあらざるなり。大道は速かならずとも規律正しく歩みなば迷ふことなく、命数と共に到るべき所に到るによってなり。所謂急がば廻れの譬喩に等し。世人は日々年々転界なしつつあるなり。されどその転界は肉体のみ進ませて、心魂は遅々として転界なすことをはかり居らざるが故に、上界の高きを悟らず、空しく遊び居るにすぎず。このままにて進むならば肉体のみは転界し終りて、心魂は長く此世に止まらん。然して再度他の母胎に宿をかり生れては、又同じ事を繰り返へし、はてしなく此世に住み居るならば果は動物の母体に、或は混虫の母体にと低下し行きて尽きる処なかるべし。此転界は転界にあらずして、落界と化せらるる結果となるなり。落界する事は易く、正しき転界は至難なりと語りしは、この例に等しと思はば可ならん。今語りしは一つの譬喩にすぎず。よってこの説には論議をなすこと勿れ。

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