未知日記霊話集千六百八十五回  帰途案内記 NO105 神は人を造り給ひて何を求めんとなし給ふや。謂はずもがなそれは肉体にあらずして目的は魂にあるならん。その魂に智慧の肥料を与へて優秀なるものを作り、育てて更に階を転ぜしめて、種々様々の任務をなさしめんとの思し召しなるべし。魂に与へられたる智慧を以て宇宙の大自然の力を以て、世を明るくせんとの思し召しならんと我等は考ふるものなり セイキョウ貴尊講義

未知日記 第十巻 帰途案内記       
巻の二
転界の巻 
NO 105
セイキョウ貴尊 講述

                    
 神は人を造り給ひて何を求めんとなし給ふや。謂はずもがなそれは肉体にあらずして目的は魂にあるならん。その魂に智慧の肥料を与へて優秀なるものを作り、育てて更に階を転ぜしめて、種々様々の任務をなさしめんとの思し召しなるべし。魂に与へられたる智慧を以て宇宙の大自然の力を以て、世を明るくせんとの思し召しならんと我等は考ふるものなり。神の深き望は那辺にあるかは我等のあづかり知る処にあらねど、我等の智慧にて考ふるならば宇宙全宇宙を益々栄えしめんが為の方策として、人より更に進みたるものを次第々々に造り給ふと思ふなり。されば神の望みは人間の肉体にあらずして、要は魂に重点をおかれあることは異論の余地なかるべし。魂に与へられたる肥料に相当する智慧は何によって得らるるや。謂はずもがな其は霊の力に他ならず。霊に魂の根をふとらす事に依て、智慧は魂を育て、その魂は霊智によって優秀なるみのりを得て、ここにはじめて人間界を離れて転界するに至るなり。姿の肉体完全にそなはるとも魂なくんば、眼も見えず耳も聞えず、恰も作りたる人形と何等異なる事なからん。斯る事は論ずるの要なけれど、是を根源に逆上って考へ見よ。魂に智慧なくんば肉体の機械備はりあるとも見ること聞くことすら難からん。されど魂は肉体の機械なくとも広きを見、高きを見る力具はりあるが故に、肉体の機械を通じてものを見ものを聞く具備を有するにてはあらざるか。形を有するものを見るには肉体の機械にて見る事を得れど、形を有せざるものを見るには魂ならずば見ることは難かるべし。汝の目前に美はしき世界のあるに不拘、汝等はその世界を見る事すらあたはずして、空虚なる上空を観望しつつあるにてはあらざるか。天国は汝の目前にあり。今汝は天国に住し居るにてはあらざるか。其すら味はふ事の難きは何故ぞ。汝の座せる処は即ち天界なり。然るにその座し居る処の心地よさも知らぬにてはあらざるか。斯る事を語りなば世人は宗教くさきことを語りて、愚人を迷はす悪戯事と思ふならん。此妙味を味ふ底の修養修行を重ねて、智慧によって活眼を開らきたるものならば、実に尤もとうなずく筈なり。
 世人の智慧の程度は実在的にて肉体にのみ囚はれ居て、魂に重点を置かざるが故に、自由は束縛せられて小さき檻の内に悶々し居るなり。早く肉体の檻を脱け出でて、広大無辺の霊家に住居を求よ。然る時は我等の教へは汝等の活眼を開らかせて、安住の世界をたちどころに見せしむることを得ん。かくなりてこそ肉体を有する間に、転界をなすことを得たるしるしなりと悟ることを得るなり。肉体の中に自由を束縛せられ居りては、如何に悩み悶ゆるともそのなわめを切らぬ以上、到底転界するこことは難し。早く束縛のなわめを断ちて真の自由を得て、天界と下界とを自由に往復する力そなはらば、其にて完全の転界は得られたるなり。世人の信仰はかかる大なる処に眼を向けず、唯々肉体の労苦を厭ひて、その悩みさへなくんば其にて全き信仰は、得られたる如きあさはかなる信仰なるが故に、正しき転界をなすことは難きなり。

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