未知日記霊話集千六百八十回  帰途案内記 NO100 汝等の譬喩の言葉に千日に苅りとりたる萱(かや)と云ふあり。汝の善行はすべて千日に刈りたる萱を、一本のマッチにて焼き尽したると同様の行ひを、日々なし居るが故に行は進まざるなり。 セイキョウ貴尊講義

未知日記 第十巻 帰途案内記       
巻の二
転界の巻 
NO 100
セイキョウ貴尊 講述

                    
 汝等は大なる厳石をわづかの火薬にて粉砕したるを見て、驚異の眼を見はる。されど其は実間の愕きにて、空間の驚きにはあらざるべし。智識すぐれたるものならばかかることに対して、空間より聯想して考察する時、何等取るに足らざる破壊にて毫も驚きとはならざるべし。もし天界に声ありて汝等の地球を今破壊すべしと聞かさるるとも、或者は冷笑し或者は恐怖するのみにて、何等施す術を知らざるならん。其が天界より汝等の地球を粉砕する如きは訳もなきことにて、取るに足らざることなり。空の力はかくも大なるはたらきを有す。地球を天界より粉砕する如きは恰も厳石を僅少の火薬にて、粉砕するよりも尚易きことは云ふ迄もなし。
 即ち汝等の世界は組織することは容易の業にあらねど、破壊することはいと易き有様に置かれあるによってなり。此理より推して人生を観察し見よ。善行をつみ重ぬることは難く、悪行を犯すことは易き道理も、是に順じて考へなば明らかならん。高き山に登るに一歩々々心して登らずば、一歩あやまてば転落す。すべて汝等の世界の組織は斯くの如く偏りたる組織なるによって、善者は少なく悪人は多し。所謂生は難く死は易きの理論も、すべてこの組織の現はれなりと感じ来る時、生死の区を明らむる参考資料となる筈なり。病める人の治癒するは日を重ねずばなり難し。されど病魔は忽ち襲ひ来りて身を危うす。所謂この両者が速度に於て相違あることに思ひを廻らさば、何か其にて得る処はあらざるか。上るは難く落るは易し。所謂生は難く、死は易しの理もすべて汝等の世界の組織が斯くせられ居るによってなり。
 我斯く語る時世人は思ふならん。一日世の為人の為に己が身を犠牲にして世の中に尽し居らば、其にて正しく転界することを得るかとの問をなすならん。是に対して我は然りとは答ざるなり。何となれば世人は日々の行事を世の中の人の為に尽さんと計るは、其は唯一時的の事にして永久ならず。故にかかる事を行ひつつありとも其と是とは異なる道理あるなり。例へば汝は彼の地に旅立んとして歩みを進めずば目的は達せざるべし。我家に居りて如何に善行をなし居りても、彼の地より迎への人は来らざるべし。其と同様にて彼の地に到らんとせば先づ到るべき歩みを進むると共に、己に従ひ来る友をも共に導き手を携へて旅するにあらざれば、彼の地に到達するは難からん。日々善行を行ふは我家に在りての任務なり。其のみにては転界することは難し。汝等の譬喩の言葉に千日に苅りとりたる萱(かや)と云ふあり。汝の善行はすべて千日に刈りたる萱を、一本のマッチにて焼き尽したると同様の行ひを、日々なし居るが故に行は進まざるなり。

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