救急車で搬送される

 


映画や芝居の中でヒロ-やヒロインが清楚な静かな死を迎える中で周りの人たちに温かい感謝の言葉を伝えている。送る人達も出来うる限りの感謝報恩の言葉で彼を送る。でもこれは実際あり得ないのではないか。
僕は二日前深夜1時過ぎ食パンにバタ-とジャムを塗り、そのままにしてトイレに行こうとしたら、途中眩暈と心臓に強い痛みを覚え廊下で転倒した。その時思い切り臀部をどこかに打ち据えた。メガネはその弾みで何処かに飛んで行き、僕は隣室に寝ていた娘に声を出して呼んだ。娘は妻を起し僕に枕と毛布を掛けた。妻は口にニトロ剤を入れた。後のことは覚えていない。
気が付いたら救急車がサイレンを鳴らし、三名の救命士が僕をタンカ-に載せ勝山病院の救急搬送センタ-に運び入れた。酸素ボンベを取り付け医師は心電図など計器をじっとみていた。嗚呼こうして人は死んでゆくのか。とその時はそんなことばかり考えていた。その間、恥ずかしい話、僕は今迄幾度も厳戒の辞の大事をブログ上で書いていたにも拘わらず、その大事な時に厳戒の辞を称えることをすっかり忘れていた。
人類史上最高の生きざまを見せてきた釈迦キリストは将に糞尿に塗れて生涯を閉じた。釈迦は阿難の手をわずらし何日も止まらぬ下痢に閉口した。これまた母マリヤに抱かれたイエスは母の膝の上で糞尿にまみれて絶命した。あんな偉大な人達ですらこのざまだ。僕等凡俗は決してカッコなんか気にする必要はない。ありのまま生涯をとじればいいんだ。それをあの両人は教えてくれた。そんな訳で明日病院で朝から検査。よって当分はブログはお休みになるかもしれません。皆様もどうぞお身体を気を付けてください。

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