未知日記霊話集千六百二十六回  帰途案内記 NO45   是等の順序を重ねて全きさとりを得て、今後の説明を聞くならば、天界の事柄は明らかに認知することを得るによってなり。是等のそなはりなくして天界の有様を聞かば、小児に語るお伽噺か或は拙き小説を読むに等しければ、何等の価値もなき故なり。肉体信仰魂信仰は是によつてほぼ察することを得たらん。  セイキョウ貴尊講義

未知日記 第十巻 帰途案内記       
巻の一
大序の巻 
NO 45
セイキョウ貴尊 講述


未知日記 第十巻 帰途案内記       
巻の一
大序の巻 
NO 45
セイキョウ貴尊 講述

                    
 魂信仰の力すぐれずば霊の信仰は得られざるなり。身心の信仰、心魂の信仰さては魂霊の信仰に度をたかむるにあらざれば、真実のさとりは得られざるなり。肉体信仰魂信仰更に進んで霊の信仰に迄拡大せずば、天界のすべてを明らむることを得ず。天界のすべてを明らむるにあらざれば、神の存在有無は解するものにあらずと云ふことも先づ承知しをくべし。我、天界の事を語るに先だち汝等をして予備知識として、是等の準備を貯へ居るにあらざれば語るも詮なし思ふによって、斯くもくだくだしく説明なしたるなり。是等の順序を重ねて全きさとりを得て、今後の説明を聞くならば、天界の事柄は明らかに認知することを得るによってなり。是等のそなはりなくして天界の有様を聞かば、小児に語るお伽噺か或は拙き小説を読むに等しければ、何等の価値もなき故なり。肉体信仰魂信仰は是によつてほぼ察することを得たらん。されど順序として今一段進むべき道あり。それは他ならず。即ち霊的信仰に移らざるべからず。従来語り来りたる如く人間には心と云ふはたらきありて、其心が肉体信仰或は魂信仰の両者をつなぐ仲介をなし居るによつて、是等相互の信仰は世人には感受することを得るならん。先にミキョウが語りし接続魂とは即ち心をさしたるなり。迷ふと云ふも心なり。信ずると云ふも亦心に他ならず。この理は今更語らずとも既に世人は承知なし居る筈なれば是を省略す。心を中間にをきて接続根とならしめ、一方は魂に、一方は肉体へ接続なし居ることを知ることは易し。されど是を今一歩進めて魂を中間にをき一方には、身心、一方には霊を主として是を接続することに対しては、未だ考へしことはあらざるならん。もとより霊は身心魂を一体化せしむる任務をなし居ることは、既に語り尽されば、世人も承知なし居る筈なり。されど今是を区分して一方は心に、一方は霊に、然して其中間にたつ魂を如何に接続せしめて、はたらきをなさしむるかに対しては世人は解し難からん。所謂心魂霊の空なる一体化を求むる方法なるが故に、さとり居らざる者の測り知る処にあらねど、一度大悟すれば是は明らかに知ることを得るなり。所謂肉体を離れたる信仰にあらざればさとることは難し。仏教にては是を菩薩の境涯と称へ居るも是に相当するならん。

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