病院での検査とリハビリ


勝山の病院の紹介で福井市の循環器病院でここ十日ばかりの間にもろもろの検査を受けた。そして明日は仮出所。五日ほどしたらまた県立病院の脳神経外科で新たな検査をうけることになった。今日は朝から調子よく歩数計によれば三キロあまり病院のなかを歩き回った。そして今リハビリテーション科で自転車こぎやストレッチ体操をやってきたところ。僕に はつらい日々が続いていたけれど、この時間帯は僕にとって一番の妙薬だ。十七の時からずっとタバコを吸い続け、六十年。今日でやめて十日目、吸えないのはつらいけどその代わり飯が美味い。一粒も余さずきれいに平らげてきた。飯がうまいので看護師をつかまえてなぜここの飯がうまいのか、料理する人に聞いてほしい旨を伝達。すると特別何も入れていない。おそらく大きな窯で炊き上げるからという単純な理由だった。
先ほど中年の別の看護師の方を捕まえ、僕がブログをやっていることを伝え、一度ブログ内容を読んで呉れないかと口頭で伝達。なぜ彼女を選んだかというと、お顔はまあまあそれ相応に美しいのに残念なことに頭髪がかなり抜け落ちていたからだ。どんな人間にも悩みのないものはいない。彼女に「覚者慈音」と「厳戒の辞」の不思議な力のことを紙に記して自宅で自分で調べるよう伝えた。きっと彼女は変な爺さんと思っただろうな。こんなことを病院でやっていると医師から追い出されるに違いない。
同室の患者は七十三歳と八十三歳の人だ。彼らに「人が死んだらどうなるか」というセイキョウ貴尊の論文だ。これを同部屋の二人に見せてやろうと思う。さてどんな反応を見せるかな。一人はピンピンコロリの熱望者、もう一人はかって病気の時に賽の河原を覗いてきたという変人。彼には退院したら僕のブログを覗いて厳戒の辞の説明文と人が死んだらどうなるかのふたつの論文を読むように別れ際説明してきた。さあ、読まれるかどうかわからないが読んだら大きな利益を得ると思う。普通一般の人は自分に与えられた肉体の生死だけを思い患い、死後の長い魂の永世のことを考えていない。そこから始まりなんだ。

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