未知日記霊話集千六百十八回  帰途案内記 NO 37 教主の如くならば無形にも住し、有形にも住する力そなはりあれど、我等は未だその位置には達し居らざるなり。斯く語るとも汝等には到底予測することは難からん。又汝等の学問の程度にては到底斯ることを信ずるあたはざるべし セイキョウ貴尊講義

未知日記 第十巻 帰途案内記       
巻の一
大序の巻 
NO 37
セイキョウ貴尊 講述

                    
 汝等今少しく智慧を拡大せよ。然して相対性をいささかにても度脱することに努力せよ。斯る疑問を我等になす間は未だ複相対より相対に迄、進み居らざる底の智慧なり。
早くその複相対をはなれてせめては相対に迄智慧をのばすべし。全宇宙に距離なく時間空間もなしと語り居るを、汝等は相対否複相対の場より考ふるに依てこの理を把握することを得ざるなり。汝等海の上に家を建てて其中に永久に住居することを得るや。山の如き波にはね上げられ、或は奈落の底迄も突き落とさるる如き海上に家を建てて住居することは難かるべし。手近き汝等が自然にすらかくも分り切りたる理窟が云はるるにてはあらざるか。海中に点々と出現し居る島々をめざして、そこに家を建て住居することは得れど、其島と島との間を船にて渡らずば交通は得られざるべし。我等の無形の所に到るを許されずと云ふも大同小異にての説明にて、世人にも認識する事を得んと思ふなり。有形より有形に渡るは島より島に交通すると同様にて無形の所をきはめ尽すことは許されずと云ふも、この類と思はばうなずく所あらんと思ふなり。汝等は島より島に渡るには船の要あり。されど我等にはその船の要はあらざるなり。教主の如くならば無形にも住し、有形にも住する力そなはりあれど、我等は未だその位置には達し居らざるなり。斯く語るとも汝等には到底予測することは難からん。又汝等の学問の程度にては到底斯ることを信ずるあたはざるべし。是学問と云ふ小さき枠の中に閉ぢ込められて、大なる学問を知らざるが故なり。学問をして却て信仰を垢づけ居るによって、正しき信仰は得られざることに考慮せよ。





 汝等は学問をして学問に縛ばられ居るによってその範囲より脱け出づることを得ざるなり。富豪家は金に縛ばられて他の事を考へざるに等し。金を貯へ其に依って世の中の利益を計らんとするにあらねば、金を貯へし甲斐はあらざるなり。貯へると云ふは蔵するにあらず。学問に於ても亦然り。金を儲けて其金を応用して世に処するにあらざれば金の価値はあらざるならん。学問又然あるなり。

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