未知日記霊話集千六百十七回  帰途案内記 NO 36 全宇宙は如何に広大無辺なりと雖も、一旦許されて天界に引き上げられたる我等なるによって、自由自在にその悉くを観望もなし、又自由自在に意のままにその処に到らんすればその処に到ることを許され居るにて、世人の如く地球上に釘づけせられたるものにあらねば、全宇宙の悉くを究め尽すことを許されあるなり セイキョウ貴尊講義

未知日記 第十巻 帰途案内記       
巻の一
大序の巻 
NO 36
セイキョウ貴尊 講述

                    
 現に今も尚新しき世界が次々に現はれ居ることを我等は知るによって、その一々を汝等の世界より指し示めして是は新らしく現出したる世界なりとか、或は既に枯れはてて破壊に近づき居る世界なりとか云ふ如く説明をなし得るならば、全宇宙は無限にはあらざるなり。汝等が世界より観望し得る底の限度はきはめてせまし。全宇宙の億分の一、否極分の一にもすぎざる故なり。汝等は全宇宙を如何に誇大に考ふるとも、汝等の智識の程度にては極分の一をも観察することは難き故なり。汝等は太陽系の一部に於てすら今尚確実に知ることを得ざるにてはあらざるか。火星の色は赤きが故に、火星は寒帯ならんとか、金星は何々とか称し居れど、其すら未だ甲論乙駁して決定はなし居らざるにてはあらざるか。斯る手近き所にすら今尚判明なし居らざるに、まして全宇宙の事柄を我等指し示めして語るとも、其は確かに然あるかと信ずることのあたはざるは、是疑ひをさしはさむによってなり。全宇宙は如何に広大無辺なりと雖も、一旦許されて天界に引き上げられたる我等なるによって、自由自在にその悉くを観望もなし、又自由自在に意のままにその処に到らんすればその処に到ることを許され居るにて、世人の如く地球上に釘づけせられたるものにあらねば、全宇宙の悉くを究め尽すことを許されあるなり。
 眼を開らけばすべては見え、耳を開らけばすべては聞え、歩みを運べば全土を駈け廻る事さへ許されあるに依て、全宇宙は我等には広しとか遠しとかの距離を有せざるなり。口を開らけば全土にその声を送ることも亦許されあるなり。是等も皆距離なきが故なり。我、今全宇宙のすべてにと説きたれど、そのすべての意味は有形のすべてを指すにて、無形のすべてには我等未だ許されあらざるなり。斯く語らば世人は又わが言葉に疑問をさしはさむならん。有形の箇所は距離を有し、無形の箇所は距離を有せず。然る時は有形の距離を有する処を自在に交通することを得るならば、無形の処は却て自由ならずやと。又限度を有する有形の場所を転々とわたる時は、無形の所を通過せざれば進まれざるべし。その理は如何にと疑問するならん。

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