覚者慈音410

テッシン講録再続篇 下      未知日記第七巻


拝む行者の第四の心得について       其一
                     その11
             
                     第四の巻
           インショウ、ミキョウ貴尊講述


 己危機に瀕して他より救はれたる感謝の心と、平素の贈物を受けたる時の感謝の心とには格段の相違ある如く、拝む心にも亦濃淡の区あるべし。故に行ずる者の心構へとして大切なる事は、その事柄の意味を認識して行ぜずば、徹底する霊の信仰を明らむる事あたはざるなり。相対世界には物に大小長短の区別あるに依って、行ふ事柄にも自づと軽重の差別あり。例へば一円の金銭と百円とには心持ちに於ても相違あるにより、一円奪はるるもさのみ未練は無きも百円を奪はるれば未練は濃厚なるべし。絶対的観察に於ては一円も宝、百円も宝にして、自己の使命に従ひて一円は一円の働きをなし、百円は百円の任務をなし居るに過ぎざれば、是に軽重の区を与へざるなり。もし一円はその摩滅する迄働きて天分を全うするに反し、百円は金庫の奥深くかくれ働かずば、其は天分を全うしたるにあらねば一円には及ばざるは云ふ迄もなし。然るに人は百円は金庫に深く蔵して一円は繁く働かすならん。この一円は百度働かば百円の任務を果せし事を人は考慮に入れざるなり。
 神の心と人間の心とには斯る事に迄相違ある事に留意せざるべからず。人は一円と百円とに於てすら斯くも差別待遇をなすにより、人生観に於ては殊更差別するなり。人は其々に定められたる天分を完全に果してこそ神の心に合ふなり。然るに己の分を知らずして、唯己が衆より優れたりと自惚れて、他を低く見なして酷使し自らは手をこまぬきて遊ぶは、金庫にかくるる百円に等しく一円にははるかに及ばざるなり。此理を知りて拝みの心にも同様の行ひある事に意を用いざるべからず。祈る心に軽重ありては通ずるものにあらず。如何なるものに対しても先に述べし一円と、百円の如く差別することなく拝まざるべからず。一円の個性の人ならば一円の分野に応じて、亦百円の人ならば百円に相当する分野に従ひ、此拝みをなすなりと知るべし。己が一円の力なるにも不拘百円の拝みをなさんと思はば、ここに無理を伴ふに依って辛苦を増すのみにして却って心に悩みを感じて、身も心も共に傷くのみ。何等得る処の得はなかるべし。されば同じ行をなす者の中にも彼は進み己は遅るる如く思はれて苛立つ心の生ずるならんも、進むものは百円の働きあり、進まぬは一円の力ならん。故に我は百度行はば彼の一回に匹敵すと考へて、彼より繁く働らかん。彼より繁く行ぜんと努力せば、其にて使命を全うすることを得るなりと知るべし。

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