未知日記霊話集千五百九十回  帰途案内記 NO9  世人はこの書を読むにあたって信ずるものは信じて読むべし。疑ふものは疑ひて読むも可ならん。唯我等はありのままを語りて世人に知らしむに止むべし。信ぜよとも疑へよとも我等の口より語らざれど信ずるならば信ずべし。疑ふならば疑ふべし。そは世人の心まかせになす他なければ唯講演を続くることとせん セイキョウ貴尊講義

未知日記 第十巻 帰途案内記       
巻の一
大序の巻 
NO 9   清浄如意界2
セイキョウ貴尊 講述

                   
 我等にして是を童話小説的に編纂して面白く語るならば定めて世人は貪り読むならん。是等を小説化せしむるならば万巻の珍書となるは必然なるべし。されど斯ることをなすとも小説として空しく聞きすごされなば何の価値もなく、唯興味を以て読まるる如き結果となりては我等の使命を果すことあたはず。さればとて是を事実として語るとも世人には到底信ずることあたはざらんと思へば、是又一つの悩みの種子となるにて、我等の苦衷はここにあるなり。故に世人はこの書を読むにあたって信ずるものは信じて読むべし。疑ふものは疑ひて読むも可ならん。唯我等はありのままを語りて世人に知らしむに止むべし。信ぜよとも疑へよとも我等の口より語らざれど信ずるならば信ずべし。疑ふならば疑ふべし。そは世人の心まかせになす他なければ唯講演を続くることとせん。
 我、下界より慈音をこの所に導きたりと云ふさへ世人は信ずること難ならん。ましてこの階の様を彼是語るとも信じがたきは当然なり。そは我等よく知るところ、又我、姿を現はさずして下界に座し居る慈音を座せしめしまま、後方に一二間退かせしと語るとも其にすら尚信ををく人はあらざるならん。人の智慧はかくの如き程度にて、我等が眼より見る時あさはかなる者なることを知るによって、天界の様を語ることは好まざるなり。然るに教主は我に対して仰せらるるには、
「セイキョウよ。汝は未だ後年を考へざるが故にかくも思ふなり。今後数億年の先の姿を予期せば如何 ! 」と申されたれば、我も其意を汲みとり尤もとして命に従ひたるなれば、此書は現在の書にあらざることを承知せられんことを ! 余事は別としてさて本論にかへるべし。 

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