未知日記霊話集千五百八十八回  帰途案内記 NO 7 全宇宙の広大無辺なることは此事によって推量らば頷かるるならん。余りに広大なるが故に人智にては到底想像する事は至難なるべし。よって我等は是等の理由により宇宙全宇宙の姿の一部を世人に知らしめて、世人の迷ひを聊かにても解かんと計り、此書を案内記として講ずることとなしたるなり  セイキョウ貴尊講義

未知日記 第十巻 帰途案内記       
巻の一
大序の巻 NO7                  セイキョウ貴尊 講述


 地球を七回半廻ると云ふ電波の速度にて是を用いて全宇宙に通ぜしめんと計るとも其は及びもつかざることなり。何となれば秒速七万五千里と仮定して試めし見よ。是を時速にて計らば僅に二億七千万里に過ぎざるべし。斯る小規模なる電波にては宇宙のすみずみ迄通ぜしむることは難し。まして全宇宙に於てをや。全宇宙の広大無辺なることは此事によって推量らば頷かるるならん。余りに広大なるが故に人智にては到底想像する事は至難なるべし。よって我等は是等の理由により宇宙全宇宙の姿の一部を世人に知らしめて、世人の迷ひを聊かにても解かんと計り、此書を案内記として講ずることとなしたるなり。されば我等の語るところは世人の智慧にて判断なすとも到底及ぶべきにもあらねば、定めて大袈裟なることを語るものかなと思ふならん。然し我等が言葉を尽して誇大に吹聴せんとなすとも僅かに、全宇宙の一毛をも語り得ざることは云ふ迄もなし。全宇宙は余りに広大無辺なればその心して、我等の語るところは誇大にあらずして至って微々たる事を語り居るなりと思ひて聴くべし。
 今一例をあげて世人の智慧の程度を計る資料になさんとす。今ミキョウ達が任務をなし居るところを紹介せんに、ミキョウ達は住家を有するにあらず、所謂屋根もなく床もなく道路もなく山獄河川もあらずして、唯空の中に活躍なし居ると聞かされなば、世人は如何に想像するや。或は己人間の姿を聯想して考ふるならば、一歩たりとも歩みを進むることあたはず、唯風船玉の空を飛翔し居ると同様の如く想像する他なかるべし。然るに事実は是に反してその空の中にありて自由自在の活躍をなし居るにて、秒時も休むことはあらざるなり。されば是等の様を逐次語りて先づ空界にはたらき居るものの生活ぶりを詳細説かん。お伽噺小説の如く思ひて聞くこと勿れ。我は童話師にもあらず。小説家にもあらざれば姿のままを語るにすぎざるなり。されど世人は現在己の立場よりこれを想像せば夢物語にすぎざらん。是即ち世人の智慧の未だ浅きことを物語り居るによってなり。
 我、はじめ慈音を導きたる処は即ち此所にして慈音はこの所に於て種々様々の教へを受けたり。其様を慈音の友二三人がこの話を彼が口より僅少ながら聞きて不思議の感にうたれ居たる事によっても知らるる如く、この場所は人魂(じんこん)の永住する所にはあらざるなり。又我等常に語り居る如き浮住界にてもあらざるなり。この場所は浮住界よりめざめたるものを集めて其等を養育し、落す者はをとし、上るものは上らしめんが為に設けられたる所にて、謂はば魂(たましい)の養成所とも云ふべき場所なり。もとより時間空間距離を有せざるが故に、世人の考ふる如き年月の長短はあらざること云ふ迄もなし。然して慈音の如き肉体を有して下界におかれある者と雖も、教主の許可し給ふ者ならば下界より直ちにこの処にいたることをも亦自由に許されあるが故、この場所は死せる者生ける者等の区別なく混合にて出入りなし居る実に不可思議なる処と知るべし。

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