覚者慈音407

ッシン講録 未知日記第七巻



拝む心の成就したる結果を知るには     其一
                     その9
             
                    第三の巻
                ミキョウ貴尊講述


 初めて拝む修行を行ふ人はなさんとしても容易に行ひ難きものなり。一日二日は行ひても次第に日を経るに従ひて忘れがちとなりて遂にはなおざりとなりて止まるものなり。故に是等の人の為に聊か語ることあり。初心者は一つの行を行へば其によって何か変りたる効験のあると思ひて、最初は命ぜられたる回数の二倍三倍も行ひて、他より一分時も速に到達せんと力むれども、何の験なければ怠慢となるは普通人の行ひなり。されば初心者は己の衣服を洗濯すると心得て一度拝まば其だけ垢は脱落すると思ひて行ふべし。拝む心を忘れたれば洗濯を思ひ出して実行せば衣服はきれいになり行く如く心も清くなり行くに、興味を感じて速かに垢を落さんと云ふ思ひに充たさるべし。
 例へば垢づきたる服を洗ふ時、其垢づきたる箇所が脱落して白色となりゆく如く、霊光は順次光彩を放ち行くなり。故にこの霊光より受くる閃きは従来と異なりたる働きにして、今迄に験せざりし事を覚ゆるにより、何となく一種の快感を覚えて法悦に至るなり。此期に至らば最早行に一種の趣味を感じて他より斯ることを制止せよと奨めらるるも止むるを得ざるなり。恰も碁将棋に興味を感じて徹夜する人の心理状態の其に匹敵するなり。されば行はいよいよ進み興味はいよいよ加はり行くならん。斯くなれば従来考へ居たる有難しとか、或は尊しとか、忝なしとか云へることも今眼のあたり感ぜらるるとには大なる誤差ありしことを発見して、唯々驚嘆する他なからん。斯る時何物ん面前に現はれて種々様々の奇跡を示す等の行為をなすならば、其は錯覚作用なれば、決して信ずべからず。其等の多くは肉体神経の変調より生ずる幻影にて、其に信ををきて行を進むれば遂には迷道にふみ入りて世間より神の如くもてはやされて、退くに退かれぬ結果となり、果は己も然あるかと思ひ惑ひて取り返しのつかぬ境遇に置るるに至らん。然る時は修行は其迄に終りて正しき信仰に進むことを得ずして終らん。



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