未知日記霊話集千四百五十五回 大霊界 無言詞の働きは空に属するか その10 剣客は剣に囚はれ、画家は画に囚はれ、音楽家は楽器に囚はれ居りては、決して名人の域には達すること難し。物事は業に囚はれ居りては執着となりて、平常心とはならざるなり。剣に縛られ筆に縛られ楽器に囚はれ居りては自由は得難し。そのすべてを己が天分として其れよって道を歩まば名人上手の域に達する事を得るなり。すべての道理はみな同じ。すべては一にして二にあらず  教主寛大講義

未知日記講義第一二巻  大霊界       巻の三                        NO139 
心に伝ふる無言詞と魂に伝ふ無言詞の相違   その10                                                  教主寛大 講述


 楽器を持ずとも名人は名曲を奏で、剣士は隙なきものを切ることはなさず。技術も斯く迄絶頂に達しなば最早剣士には剣の要なく、琴師には琴の必要もあらざるなり。斯ることは修養修業の力備はりたるものにのみ体験せらるることにて、何も知らざる汝等衆人これを理解すること到底難からん。剣の極意音楽の極意すべては一なり。日本の古来武士がためし切りと称して夜な夜な往来の人をなやましたる悪習なりし。其時に於て通行人が我はけがれものなりと称しなば、武士はぬかずと云へることさへありしと聞く。技、術拙き剣士と雖も穢れものは切らざりしなり。穢れものを切るは犬猫を切るに等しと思ひ居るが故なり。我、斯ることを語るは余事にあらず。心を常に平かになし得る方法を、汝等に教へんとなすによって参考資料として語りしなり。
 平常心とならばすべての芸術はもとよりすべての事柄に対して、あますところなく通ずるによって平常心ならでは、一方に隙を生じても通じ難き意味を自覚せずば、目的は達し難し。剣客は剣によって平常心となり、音楽家は音楽によりて平常心とならば、名人の位置に達することを得るなり。平常心とならば剣客は剣の要なく、音楽家は楽器の要もあらざるなり。即ち音楽家は音楽によって大悟し、剣客は剣によって大悟す。されば一分の隙もなき人間となるには、平常心に化せられずば目的は達し難し。或画家は他人よりたのまれたる画をかかず、酒ばかり飲み居るに、汝何故描かざるやと尋ねしに、我分秒も休まず描き居るなりと答へしと云ふ話を聞きたり。是等すべては剣客の例と同様にして、名人の域に達しなばすべては一なり。剣客は剣に囚はれ、画家は画に囚はれ、音楽家は楽器に囚はれ居りては、決して名人の域には達すること難し。物事は業に囚はれ居りては執着となりて、平常心とはならざるなり。剣に縛られ筆に縛られ楽器に囚はれ居りては自由は得難し。そのすべてを己が天分として其れよって道を歩まば名人上手の域に達する事を得るなり。すべての道理はみな同じ。すべては一にして二にあらず。汝等諸子は我等の説を聞きて法に囚はるること勿れ。法に囚はれ居りては、平常心を得ること難し。今語りし法とは技術を指すなり。技術の法に囚はるること勿れの意味なり。

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