未知日記霊話集千四百五十四回 大霊界 無言詞の働きは空に属するか その9 もしその剣士が、技術拙きものならば、盲人は切り倒されて空しく死するの他なからん。その剣士は武道の達人なるが故に隙なきものを切ることはなさざるなり。もとより盲人は身に寸鉄をも帯ず、切らんとして切ることはいと易し。然るに隙なきものを切るは剣士のなさざるところ、されば剣士は盲人の隙を見つけて切らんとて進み行きたれど、彼には一部の隙もなかりしため切ることを得ざりしなり。もしこの盲人が名曲を奏で居らずば己が生命はなかりしならん。この両者は共に名人なりしなり。名人と名人が出会ひたる時斯くの如き姿となるなり  教主寛大講義

未知日記講義第一二巻  大霊界       巻の三                        NO138 
心に伝ふる無言詞と魂に伝ふ無言詞の相違   その9                                                   教主寛大 講述


 汝等諸子は物を見るにあたっても眼によってのみ観察して、他の部分に心を移さざるが故に、眼にてものを見れば眼に囚はれ、耳にて聞けば耳に囚はれ、手にて擦れば手に囚はるるが故に、すべてはその一部分に囚はる。故に其を観察するには各方面より見るにあらざれば空しき考へとなるなり。是等のすべてはそのものに囚はれ執着なすによって行き詰りを生ず。されど広く物事を観察する習慣をつけ居らば過失は少なかるべし。
 眼にてものを見れば眼に囚はれ、耳にて聞かば耳に囚はる。是は一方的なり。一方に偏らば他に空虚となりて働きを静止す。故に全身悉くにてそのものにあたらば解決の道は直ちに開らかるる道理あらん。ここに着眼して見聞を広くせば其だけ智慧の程度は、高く広くなり行くは是又理なるべし。一つの事柄に対して甲は右と云ひ乙は左と云ひ、然して論争はたえざれば甲乙共に各方面より考察して、其物の是非を観察なすならば、必ずや一致点は発見せられ、論争の時間を空費することなく直ちに解決は得らるる筈なり。
 或剣客一振の刀を求めてその刀の切れ味をためさんとて、或夜一人の盲人が通行するを見て、彼を切らんとて背後よりうかがひ行きたるに、切ること能はず。彼の剣士は盲人にむかひて「汝は何をする人ぞ」と尋ねしに盲人曰く、我は琴師なり。今や名曲を奏で居るなり」。剣士ハタと膝を打ちて「剣の極妙はここにあるなり。人を切るは剣にあらず」と云ひて盲人の手を握り、「我、汝を切らんとしてしたひ来りて大なる教訓を受けたり」とて、彼が脚下に伏して謝したりと云ふ逸話あるなり。この逸話を聞きて諸子は如何に考ふるや。もしその剣士が、技術拙きものならば、盲人は切り倒されて空しく死するの他なからん。その剣士は武道の達人なるが故に隙なきものを切ることはなさざるなり。もとより盲人は身に寸鉄をも帯ず、切らんとして切ることはいと易し。然るに隙なきものを切るは剣士のなさざるところ、されば剣士は盲人の隙を見つけて切らんとて進み行きたれど、彼には一部の隙もなかりしため切ることを得ざりしなり。もしこの盲人が名曲を奏で居らずば己が生命はなかりしならん。この両者は共に名人なりしなり。名人と名人が出会ひたる時斯くの如き姿となるなり。

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