覚者慈音390

未知日記 第十巻  帰途案内記
最終の巻



                      その45
二流界、仮称霊空界の人類について                          
                  セイキヨウ貴尊 講述


 宇宙全宇宙の具備の変化なし行くは、大概此界の人々の手によつて作られあると見るも可ならん。是等の人種にはみな其々の役目を授け、新しき界を作りて、是を監督せしむる如き事もなされ居るなり。汝等の世界と雖も此界の人種の手がのび居るやもはかられざるなり。宇宙全宇宙の実在的のその悉くが魂魄界以上の人種によって、組織され保護されあると思ひても差支なし。
 再童慈音がこの界の葬式の様を見て、余りに美はしき為驚き居たる様を、我は見て思はずほほ笑みたり。是は事実に於て目撃せざる者の到底想像することも難かるべし。その神々しさと美観とには誰もが一驚を喫するなり。多くの美はしき脱殻が運ばれ来りて、大なる光の池に投ぜらるる様の微妙なる音響と、香しき匂いと美はしき光が八方に輝き、全界の人類が是に感謝の真実を捧ぐる時、その霊気の世界中に充ちわたる有様など、是は到底筆舌の及ぶべくもあらざるなり。余事は兎に角我等の語らんとする所はかかる小さき問題にあらず。唯変りたる有様の一部を、参考として語りたるに他ならねば、その心して聞かれん事を望む。
 既に二流界の人類とならば霊を表面化し、魂魄一体となりて是に従ふ。是を三流界以下の人類に比較する時、魂魄の人は魂と魄をこもごも廻転せしめて、その蔭に心意をはたらかせ居れど、二流界に至っては霊を主として、魂魄一体となりて是に従ひ居るが故に、恰も魂魄は心意のはたらきの如くなり居るため、その程度が強大にして無限のはたらきをなす。是を支配なし居る霊の力は、神に通ずるが故にすべてをあやまたしめず、何事をなすも自由自在にして、なしてならずと云ふことなし。霊は宇宙全宇宙に通じて至らざるところなく、時間空間距離を有せざるが故に、何時如何なる場合に於ても全土の姿が霊鏡に映り居るが故、是に化せられ居る魂魄は又その命ぜらるるままに働き居らば、其にてすべては解決なし居るなり。
 世人の世界などはわづか一個の太陽に依って保持せられ居れど、全宇宙に至っては言葉に云ひ現はし難き底のそなへあるに不拘、霊はその悉くに通じて是を知る。物の大小は是又必要なく霊に取りては大小と云ふもののあらざるが故なり。例へば世人の世界を一言にて云ふならば、すべては阿吽(あうん)の二文字に終るにてはあらざるか。現はれては消え、消えては現はる。其にて終りとなるなり。昨日生れて今日死す。唯其にて尽きるにてはあらざるか。すべてをこの二文字にて解決する事を得る世界を、彼是論議なして何になる事ぞと嘲笑せられても、是に対して弁明する言葉はあらざるべし。謂はば世人の世界は至極単純なるものにてはあらざるか。先づ何か一つの話題を作りて互に是を論議し見よ。然る時は或は善と云ひ、或は悪と云ひ或は可と云ひ或は非と云ふ言葉にて、対立するにすぎざるべし。然して其結果は可と云ふも非と云ふもすべては消滅して影を止めず、空しきに終らん。唯其にて尽きるなり。斯る単純なる世界に生をうけて、如何にしてか人間の人間たる真の真相を究むることを得んや。是を汝等の肉体にとりて考へみよ。 

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