未知日記霊話集千三百五十九回 大霊界 肉体を有する汝等衆人には無言詞感応は不必要なるが故に、有言詞感応にてすべての事に当たり居れど、無言詞階に至らば有言詞の必要は全く消滅して、無言詞によりてすべてを処理す。故に有言詞の必要はあらざるなり。今ここに有言詞と無言詞の区別をいささか語りて参考に供せん  教主寛大講義


未知日記講義第一二巻  大霊界    巻の壱                          NO 42
有言詞感応と無言詞感応の区別     その1
          教主寛大 講述


 肉体を有する汝等衆人には無言詞感応は不必要なるが故に、有言詞感応にてすべての事に当たり居れど、無言詞階に至らば有言詞の必要は全く消滅して、無言詞によりてすべてを処理す。故に有言詞の必要はあらざるなり。今ここに有言詞と無言詞の区別をいささか語りて参考に供せん。大発見大発明をなさんとせば無言詞ならざるべからず。無言詞を有言詞に化せしめて、然して是を事実に現はすことによってすべては明らかとなるによってなり。是等は肉体を主眼とするが故にこそその必要に迫らるれど、肉体の必要なければ現実化せしむるの要もあらざるが故に、無言詞にて事足る。無言詞は深淵にして尽きるところなきによって限度を有せず。有言詞は結果を主とするが故に限度を有す。故にその範囲はきはめてせまし。
 元来肉体を有する諸子なるが故に、すべてを有言詞にまかせて事にあたる。是即ち、肉体を主眼となすによってなり。先に語りたる如く謗らるれば怒り、褒めらるれば喜ぶ如きは是みな有言詞関係なり。是等はみな肉体感応の作用によることは云ふ迄もなし。今是等に関して少しく語りおくの要あり。肉体には神経と云ふ発電作用を有する具備あるによって、神経に触るればそのはたらきによって質疑応答はなさるるものにて、反射力をおこすも質疑に対する応答なるべし。神経の発電によって問へば答ふ。是等の事柄はすでに諸子も認識なし居るならん。されど今一歩深く是を考察し見よ。謗られし問に対して怒りの答へをなし褒めらるる言葉に対して、喜悦の回答を送る。是等も神経の発電作用に基因することは云ふ迄もなし。されど謗られし言葉に対して、怒りの応答は何によって生せしやと深く追求せば、ここに考慮すべき所はあらざるか。謗られし言葉に対して喜びの答へをおくる場合もあるならん。例へば彼より我に対して、汝は善良(よき)人なれどいささかの事にに立腹するは宜しからずと云はれなば、汝は笑ひて彼に真に然りと笑顔にて答ふるならん。ものの云ひかたにては怒らず、却って注意せられしことを喜ぶ結果ともなるなり。
言葉の用い方によって怒るべき事も怒らず、却って是を喜ぶは神経の作用に基くとのみ諸子は考ふるならん。もし諸子が肉体本意をすてて、魂本体に化せしめて是等の事柄を推理し見よ。そこに一種の真理を発見するならん。有言詞なるが故に、言葉の組織をなすにあたってそこに工夫を要すれど、無言詞を以てこれにあたるならば直に、己が意のままに彼を説きふする力あることに、気づく底の智慧なかるべからず。言葉を組織せんがために、そこに一段の工夫を要すれど、言葉なき言葉にて彼に通ぜしむることを得るならば、かかる努力は要せざるべし。是等の事柄は汝等衆人には理解すること困難ならん。故に無言詞階の理をよくよく悟るにあらざれば悟りは得難し。

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